路上のゴミ拾い・・・。
普通に考えてみれば、これって本当はあってはならない作業ですよネ
拾っても拾っても平気で車からゴミを投げる輩・・・。主に都市部や都市を結ぶ幹線道路(田園地帯)に非常に多く見受けられます・・・。
「一体どうしたら減るのでしょうかネ~~~」っと、神奈川の知り合いから相談されました。
「それは行政に相談して解決したら~~」っと言っちゃえば、「はい!それま~でよ~。チャンチャン♬」と、全く無責任なお答えになってしまいます。
まぁーネ。貸家の部屋をゴミだらけにしたり、コンビニに家庭ごみを捨てたりする人たちも含めれば、きっと、私たちのライフスタイルの中に「ある共通した」原因って必ずあると思うのです・・・。
それって何?・・・・・っとよくよく考察してみると、実はゴミを捨てている人たちの大半は、そこがふる里ではなく、他県からやってきた方・・・または、数世代まえの先祖が、やはりなんらかの事情があって移住してきた方が非常に多いことに気づいたのです。
但し誤解して欲しくないことには、こうした蛮行を行う輩は、他県からきた・・だけではなく、ふる里という概念がそもそも欠落しており、墓参りなどしたことがないといった方が多いのです。
移住された方の多くはそこを第二のふる里と捉えていますから、そこをもっと良くしようと必死に頑張ってくださいます♡
考えてみれば、ふる里に生まれ、その地に愛着をもって育っていれば、(当たり前ですが)ご近所前の路上にゴミを投げ捨てるなんて感情は、そもそも芽生えない。
これはゴミ問題だけではなく、もう一つ大事な社会問題の原因にもつながります。
それは「政治的無関心」です・・・。
ふる里をなんとしてでも守り、子供達にも地域の中で自信をもって生活していって欲しいという親心が働けば、選挙における一票の価値が本質的に養われるはずなのです。
しかし、そこが自身のふる里でもなく、ただサラリーだけの為に暮らしている場所とすれば、きっと私だって、地域の将来など無関心になろうし、近所付き合いなどは面倒くさいと思うでしょう・・・。
自分が毎日暮らしているこの大地の下には、幾千幾何万もの先人の喜怒哀楽が眠っている。その大地を足で踏み歩いていることだって、案外失礼だし、だからこそ「地鎮祭」という祭りを行い感謝をしようと私たちの遠き昔の先人は考えました。
こうした祭りの根底には、やはり「祖先への感謝と畏敬」が息づいており、だからこそ、今でも古くからの集落にはゴミも落ちていないし、お墓も綺麗で、投票率も高いといったデータもあるのはないのでしょうか?
やはり、地の下には今の自分たちへと繋がっている確かな「歴史」が埋まっているという至極当然なことを幼少時から
教えることが多くの諸問題を解決する第1歩ではないのかと思います
今ではあまり使用されなくなりましたが、昔から「ことよさす」という言葉がございます!
これは「古事記」などの書物には多用されており、その意味は「命のバトンを確かに次の世代に渡すネ!だから、守るべき慣習は守り、変えるべき文化は変えていってより良い日本を構築していってくださいネ!」という意味です
正に今、私たちは「ことよさす」という言葉を試されている潮時を迎えているのかもしれませんネ