♪都会人の都会人たる由縁とは♪~山崎正和氏を偲んで~ | ♪ILL be right here♪~♡あなたに言の葉の処方箋♡

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~何気ない言葉の中には貴女に知ってもらいたいメッセージが沢山込められています。学校では教えられない和の伝言をここに綴ります♪~

わたしが自らの職制から果たすべき役割の一つに「共存共栄の祈り」という柱がございます。

 

なにせ小さな脳みそです・・・。HDDくらいの記憶容量があれば羨ましい限りですが、おそらくフロッピーよりも遥かに劣るこの頭蓋骨の中身・・ドクロドクロドクロ

それでもなんとか奉仕が可能なのは、常に多くの方々からの御教授や支えあってのことで、感謝に耐えない次第なのですラブラブ

 

過日、劇作家の山崎正和氏お亡くなりの報を受け、しばらく筆が止まってしまいました・・。

星の数ほどある書物の中でも、わたしの思考性に決定的な指標をお示しくださったのが氏の芸術論の数々・・。

衷心より哀悼の意を表します・・。

 

 

そこで今回は氏の著書を参考にした上で、なぜ先人が「日本書紀」なる書物を誕生させ、現代に受け継がれるその息吹について、わたしなりの考察をチョーーーーわかりやすく綴ってまいりますネ!!

 

わたしたち現代人は「都会人」と「田舎者」といった場合、その違いが概念としてはわかってはいるものの、共に同じ「日本人」である以上、生活環境の差以外に、いったい「何」を思い浮かべているでしょうか?

 

そう尋ねられると、ほぼ「???」となってしまうのではないのでしょうか?

 

氏は「都会」とは、「文化と文化が対立する場である。」と綴っております。

まさにその通りであることは「社会文化学」や「比較宗教学」などで明らかにされおります。

 

実は先人が考えた「都会」とは、まず常識的に「権威の中心」「宗教の中心」の場である土地。

これはなんとなくご理解できるでしょっ音譜音譜

 

次に「文化と文化が対立する場」というのは、何も波風立てるという意味ではありません。

以前の記事に綴ったように、日本文化は常に「土に根ざした共同体の象徴であり、護るべき伝承」。

 

しかし、先人は時として激しく対立する「伝統文化」(←いわゆるオラが村~~~!!!っと言い争いになっちゃうあせるあせる)同士が如何にして「共存共生」させられるのか?と考え、地域それぞれの伝承を横並びに平均化した書物を正史としようーーー!っと1冊の国史を誕生させました!!

これが「日本書紀」(正確には日本記並びに続日本記)のもたされた尊い役目だと思います音譜

 

日本書紀が担った「和の精神」は時代の変遷と共に、人々の思考性にも大きな影響を与えていきます。

 

日本の都市開発の根底には必ず「異質なものを受け入れる寛容性」が必須になっています。

都会とはもともと土から誕生した多くの地域文化が集積した場所。全国各地の農村、漁村出身者が集まった都会人にとって、ふる里の「小さな文化の芽」は、自身の地縁や血縁につながる「誇り」でありました。それを否定することは自らを否定することであることを先人はちゃんと相互理解していたのですネドキドキ

 

そこで日本書紀から連なる「和の精神」は、ときにぶつかりあった地域文化をうま~くブレンドさせていくことに成功しましたウインク

 

山崎氏はこれを「能」の生い立ちを好例としてあげております。

 

「能が、かつて猿楽という民俗芸能であったことは周知の通りですが、これはもともと大きくわけて大和猿楽と呼ばれる大和、奈良系統の猿楽と、もう一つ近江猿楽と呼ばれる滋賀県系統の猿楽に分かれていったのです。この両者が京都でぶつかりあって、それが更に田楽や曲舞などの要素を含みながら、互いに巻き込みあって合流したときに、わたしたちが知っている日本の能というものが生まれたのです。それを実際に総合した人は、観阿弥・世阿弥という天才的な芸術家だったわけでありますが、しかしそれを総合的に可能にした母胎というものは、けっして個人の力ではなく、京都という都会の力であったといえましょう。」     以上引用

 

近代の歴史を学んだ学生たちとセッションをすると、なんとも不思議な歴史を教えられているようで、古来から都とは朝廷が権力を振るう場所であって、民衆は苦しい生活を強いられていた!と口を揃えていいます(笑)

 

しかしそれは現実的にありえないことを「文化」は証明しているのです。

 

もし、都会が強権的政治を執行する場でくくられていたのであれば、そこには軍隊のような、なんの多様性もない均一化された、無機質な情報しか流れない場所となっていたはずなのです。・・・そんな国が世界のどこかにはあるのです・・あせるあせる

 

現実に日本はそうではないですよネウインクウインク

 

したがって「都会」という定義は「まず、権威の中心がある場所。次に、和の精神をもって各地域に根ざした先人の源流をうまくミックスさせながら、ブラッシュアップさせて、知的好奇心や情緒的好奇心を高めて経済活動を活発化させる場所。」ということが言えましょうウインクウインク

 

 

故に都会に集まる人というのは強烈な主張をもつ方が多いのですが、つまらないことには異を唱えず、むしろそれを許す寛容性を持つ者度量、見知らぬ人にも優しく接する心、むしろそういった他地域からやってきた人に都会の暮らし方を教えてあげる度量・・・。こういった条件を兼ね備えた人格者を「都会人」と言うのではないのでしょうか?

 

「お前は田舎者!」なんていう輩は、自身の源流や文化の芽がそこに存在する思考性を持ち合わせていないのでしょう・・。

 

都会は田舎の芽を摘んで今日まで成長し続けてきました・・・がっ!

この数十年の間に「文化の芽」は荒廃化の一途をたどり、壊滅寸前まで追い込まれております・・。

都会とは何か?・・・田舎とは何か?・・・もう1度再生するために必要な人間形成とは何なのか?・・・様々な課題を抱えている現代社会ではありますが、山崎氏をはじめ多くの著名な知識人が残した「証」には解決のヒントが残されております・・。

 

TOKYOオンリーが未来永劫続くのかどうかは、今を生きるわたしたちの今後の選択肢に託されているのではないのでしょうか?