「幸せの処方箋」です
前回の記事のご感想でhiroさんから「神対応」「塩対応」という言葉も秋葉から生まれたと教えていただきました!!
初耳でしたので有り難く思っておりますっ
神とか塩・・・うーむこれはまた記事材料に使用させていただこうかと思慮しはじめましたっ!感謝ですっ
この時期にして深秋とも言っていい程寒い・・・。
ブルブル震えながら身にしみる寒さ同様、心に染み入る言葉も数多くありますよネ!
「身は食で、心は法(道徳・教育・養育)で生かされる」
もう十年前に目にした言葉なんですが、今日においても全く浅せることなく稚拙な精神行動に終始する私を戒めてくれる大事な教えです
では「大人」という定義はなんですか?と自らに問いかけてみます。
「お酒?」「喫煙?」「選挙権」?「納税者」?・・・いやっ!どうもそれだけではしっくりきません
職制上「絵馬」を目にする機会が多いのですが、ここで「ピンっ!」と来たことがあります。
絵馬には多くのお願い事が託されていますが、それが一体誰のために書いたものなのか?という点に一つの答えを見ました
「宝くじがあたりますように!」
「成績が上がりますように!」
「運動会で1位になりますように!」
「ダイエット成功しますように」
うんうんそれぞれのお願い事が叶いますように精進してくださいネと願うばかりです・・・・。
他方、下記のように記された絵馬も多いことに気づきます
「家族が健康で過ごせますように」
「彼氏が無事に就職できますように」
「社員が怪我なく恙無い家庭生活が続きますよう、経営が安定しますように」
「(遠方に暮らす)孫が毎日楽しく通学できますように」
どれもなんにも間違ってはいませんネ。
しかし、前者と後者ではその内容に決定的な差があります。
もうお分かりですね!
そうです・・・。前者は全て「自分ファースト」。後者は全て「自分以外ファースト」なのですっ
以前にもお話しましたが「働く」とは「傍(はた)=他者」を「楽(らく)」にすることです。
自分を診察するために医者になる人はいません・・。
自分が食べたいものを満たすだけに料理人になる人はいません・・。
もちろんスーパーもコンビニも全てが生活に必要な物品を供給して下さっています
どんな理屈を語ったところで私達は第三者からの「能力」を頂かないと生活は出来ませんよネ・・・。
この至極当然のことを心に内包し、相手を思いやる気持ちを持つ者が先ずは「大人」としてのクリア条件だと絵馬からあらためて学びました
かの松下幸之助翁は社員にこういったといいます。
「君達(社員)が作るのは人々が安心かつ便利に生活できるような商品作りだ。そして私(経営者)が作るのはそういった他者を思いやる社員を育て上げる人づくりだ」
鑑みてみると先人は既に「社会生活」に対する正確な道徳心をもっていたことがある言葉から推察できます。
自分という存在がどんなに優れた技量、才能をもつ「度量(=土糧)」があるとしても、そこに生きるための様々な要素(自然からの恵みである水や空気や食料)を始めそれに連なる「人、モノ、お金」が自らのもとにやって来なければ生きていくことは出来なません。
先人はこれを風に乗って運ばれてくる種子に例えて感謝しました。
そして自らも種子となり(=労働)その努力の結晶(生産物)を風として飛ばさなければ社会を形成することは出来ません・・・・。
これ即ち「土壌」+「風」、従って「風土(ふうど)」と表現したのですネ
バイトしながら自己実現に向けて努力している方々・・・。
家族のために今日も汗水たらして働いてる方々・・・。
家事をこなしながらお子様を育てている方々・・。
これまた家事に介護に大変なご苦労をされている方々・・・。
それはすべて掛け替えのない第三者を思う素晴らしいお心がけであり「風土」そのものだと深く尊敬の念を感じております
先人は更にこう続けます・・・。
人生誰にでも始まりがある・・・。ならばお互い足りぬ部分を感謝しながら補い合い、立派な終末を迎えましょう・・・。
それが大人の条件であり、社会という風土を守っていく為の道義的責任なのです・・・。
これ即ち「始末」と言います。
誰でも泣いて生まれてきます・・。きっと周囲は微笑んでくれるでしょう
ならば最後は自らは微笑みながら世を去り、周囲は涙を流しながら見送る・・・。
始末とは捨てることではありません。
とかく自分さえ・・・と思いがちですが、国家「君が代」のように
君という愛するパートナーが千代に八千代に即ち、いついつまでもさざれ石という小石が重なっていって磐(=岩)となる位、いやその岩に更に苔(こけ)が生える位でも永遠に生きていて欲しい
そんな「風土」をもつ私達・・・。1日ちょっとでもいいから考えてみませんか?