昨日は4(し)2(つ)5(ご)で、

失語症の日、だったらしい。

左脳にあると言われる「言語野」の損傷や、私と同じ「高次脳機能障害」でも起きることがあるらしい。これまでも何人か失語の方とお会いしたことがあるが、どなたもひとつひとつ言葉をアタマの中の棚から丁寧に取り出すようにお話しされるのが印象的だった。ちょっとつまづいた時には、言葉を「これかな?」と引っ張り出すようにお話しするとスムーズにお話することができたりした。「失語」があるのに「朗読劇」をされている方々の絵本の朗読の公演を聴いたことがある。そこには、多くの観客の前で堂々と、嬉しそうに言葉を声にする姿があった。

それを見て思った。あぁ、この人たちは言葉を口にすることがとても好きなんだ、そしてすでに作家さんが見つけ出して作品として本に書かれた美しくリズムのある言葉なら、アタマの中に探しに行かなくていいから、こんなに生き生きと声にできるんだ、と。歌などももしかしたらそうかもしれない。私たちだって、「この歌は自分のために作られた歌かもしれない」、「これは自分の気持ちを歌ってくれている歌だ」「なんて素敵で美しい言葉で」と思う時がある。普段自分ではとても言えない言葉や表現も、恥ずかしくなく歌える。声帯を震わせることができる。「失語症の日」は、すべての人が言葉の大切さを思い出し、感謝する日、なのかもしれない。坂井泉水さん(ZARD)の歌詞を聴き直してそう思う。


負けないで

ほらそこに

ゴールは近づいてる

どんなに離れてても

心はそばにいるわ