今日は、先日の



比叡山ケーブルカー、




西宮名塩斜行エレベーターに次ぐ

「つるべ式駆動方式」の第三弾として、



京都府八幡市の石清水八幡宮にケーブルカーに乗って初詣に行って来た。

石清水八幡宮は、はるか昔小学校3年生か4年生の頃、枚方市に住んでいた頃、親に黙ってお小遣いを使って一人で京阪電車に乗って行った場所だ。正確には駅まで行って帰って来ただけだったのだが、当時3年生のお小遣いは月300円、4年生は月400円のわが家だったので、小人運賃とは言え、相当の出費と一大イベントだったことは間違いない。

なんだか、50円玉(穴の空いた銀色のコイン)が記憶に焼き付いている。現在、枚方市駅-八幡市駅間は小人140円のようなので、もしかすると当時は150円、だったのかもしれない。たぶん、自分で切符というものを買って(付き添いなしでたった一人で)電車に乗るのも初めて、だったので、本人的にはものすごくオトナの仲間入りをしたくらいのつもりだったに違いない。

そしてそれから40年近い時が流れ、48歳の時、右の脳から脳内出血して左半身が麻痺して杖歩行となったオッサンの私は、リハビリ病院を退院後、バスと電車であちこち探検を始めた頃、この石清水八幡宮にやって来た。その時は、ケーブルカーで山上駅までは行ったものの、ケーブルカーを降りて駅から出たトコロで先に進むのを止めて引き返して来た。その後もう一度挑戦してみたが、その時はケーブルカーの山上駅からそれなりに歩いて石清水八幡宮の本殿まではかろうじてたどり着いてすぐに戻って来た。


なので今日は、2024年の年明け、初詣ということでしっかりお参りしよう。



石清水八幡宮駅は改札口を出るとすぐ右手に



ケーブルカーの乗り場がある。そして何と言ってもイイのは、


すぐに交通系のICカードも使える自動改札口があることだ。たいていのケーブルカーは、別でここでケーブルカーのチケットを買うことが多い気がするが、ここはどちらも京阪電鉄が運営しているからか、乗り換えがとても便利だった。


改札口を入ると、



すぐにケーブルカーが下りて来た。

健常な時はあまり気にしたことはなかったが、

ケーブルカーの駅のホームって、基本、「階段」なんだよなー。

他の皆さんはスイスイ入口の位置に合わせて調整をして乗り込んで行く。私は少し申し訳なさそうな顔をしながら、杖歩行でホームの段差を登ったり降りたり。なんとか車両に乗り込むと、珍しくありがたいことに年輩のご夫婦のお父さんの方が席を譲ってくださった。こういう時は迷わず「ありがとうございます」と伝えるようにしている。

最もイイ言葉だ。「スイマセン」とか言ってしまいがちだが、それはせっかく善意と優しさで譲ってくれた方に「怒ってるように見えたのかな」とか、気を遣わせてしまう。とにもかくにも「感謝」だ。

そうして、ありがたく座席を確保した私は、ご夫婦のお母さんと並んでケーブルカーに乗って山に登り始めた。

本来は麓から歩いて「一の鳥居」から参道を登ってお参りするのが正しいのだろうが、この身体、「ありがたく」文明の利器を使わせていただく。


わずか3分ほどで、山上駅に到着。実はこのケーブルカー、途中に高さ日本一(ケーブルカーとして、約43m)の鉄橋があるらしいが、あっという間に登って来た感じだ。



実はケーブルカーの操縦席は車両の中ではなく、ココ。二つの車両が一本のケーブルの両端につながれていてほぼ釣り合っているので、それぞれの車両には動力も操縦席もなく、山上駅にある大きな滑車の歯車を回転させて昇降させている。そのため操縦も上の部屋で動かすだけで二つの車両はたいていレールの中央部ですれ違う。すれ違う瞬間は、なんか、嬉しい。笑




ケーブルカーを降りると、八幡宮の案内絵図が掲出されている。退院後初めて来た時は、この案内絵図まで来て引き返した。めっちゃ歩かないといけないように見えたからだ。

しかしその数ヶ月後、再訪してチャレンジした時には気にせず進んで、本殿までたどり着くことができた。今回はその時の経験を頼りに本殿を目指す。



途中、陽の光が漏れ刺す竹林を見ながら歩く。この竹が歴史上、重要な役割を果たしている。



▲♪鳴ります


そう、かの発明王、トーマス・アルバ・エジソンが白熱電球を発明した際、その「フィラメント」に適した素材を世界中から探し求めた結果、この石清水八幡宮のある男山の竹にたどり着いた、とのことで、それを記念する石碑が建っていた。

それから何年後になるのか、

バナソニックはLED電球で、「センターマウントテクノロジー」により、そのフィラメントと同じように電球の中央で輝く「LEDクリア電球」を作り出した。この動画撮影は記憶に残るモノだった。「あと一カ国だけ、外国に行けるとしたらどこに行きたい?」と聞かれたら「チェコ共和国のプラハ!」と言うだろう。


さらに参道を進む。



その奥には、

2016年(私が脳出血で倒れた年!)に国宝となった本殿がある。

石清水八幡宮は、日本三大八幡宮のひとつ、とのこと。

平安京においては北東側の鬼門を守護する延暦寺に対し、南西側の裏鬼門を守護する神社として位置づけられた(ウィキペディアより)そうだ。


さすがに混んでいる。三が日に間に合わなかった人たち(私もだが)がありがたいことにスロープが設けられた本殿の前に並んで順にお参りしている。私も今年から一人加わった、息子の奥さんの分も含めて家族みんなと、自分の報告、感謝、変わらぬ見守りと御加護と「幸せ」を祈った。左手が麻痺していると、柏手をうまく打ち鳴らすことができない。「二礼」と最後の「一礼」は懸命にできる限り丁寧にして、本殿を後にした。また来た道をケーブルカーの駅まで戻り、麓まで運んでもらう。帰りの京阪電車の駅の前にあった、「朝日屋」さんの「棒寿司」を土産に買って帰った。




ご馳走さま。