先日NHKの『ドキュメント72時間』で、妙見の森のリフトが営業を終了する話(今なら「NHKプラス」で観られます)が放送されていた。同じ日(この番組のロケと同じ日)、同じ場所に行っていた。それはこの妙見の森にある、

芸術作品「北極星入口駅」を前から観たかったのだが、ケーブルカーの営業が終了してしまうと観に行けなくなってしまうからだ。


銀河鉄道999を思わせる空へと伸びる線路がたまらない。もともとNHKの『鉄オタ選手権』の中でその存在を知り、一度観に行きたいと思っていた。12月に営業が終了すると聞いて10月29日に思い立って行ってみたのだ。幸い、能勢電鉄の妙見口駅からケーブル黒川駅までの阪急バスがまだ動いており、それに乗ってケーブルカーに乗り継ぎ、ケーブルカーを降りてからも、まっすぐに続く急な坂道を杖をつきながら、えっちらおっちら登った。登り切ってリフトの乗り場あたりにたどり着いた所で、男性から声をかけられた。「NHKのドキュメント72時間ですが、インタビュー、よろしいですか?」

杖をついてまで別れを惜しみにやって来たオジサン、ということで「イイ話」を期待して声をかけてくれたのだろうが、先述のように私には「懐かしむ」とか「感謝する」といった想い出がある訳ではなくて、「おたくの番組で見た999のような駅を観に来た」だけだったので、インタビューを受けるに相応しい人間ではないと思ったので、「勘弁して〜」と言って断った。実際、杖をついてそこまで登って来た所だったので、息も切れ切れ、しっかりと喋れる自信もなかった。あまりにも無碍に断ってしまったので、その後もずっと申し訳なかったなぁ、と思っていた。しかし先日、その番組が放送され、録画して観てみたが、自分と同じような杖をついた女性にインタビューして

イイ感じにまとめていて、きっと私を逃して、「杖をついた人」というのをターゲットにしてその後の取材を続けたのかもしれないな、と思った。そしてその後は、もしあの時インタビューを受けていたら、どんな話ができただろう?と考えた。

そこには「廃止されるもの」への関心が強く関わっているような気がしてきた。のせでんの「妙見の森」のサイトによると、

63年の歴史があったらしい。

私は55歳だが、昭和〜平成〜令和と活躍し廃止されたモノには、なんだか自分が重なって見える。だから、



バブル期に作られたニュータウンの「西宮名塩ニュータウン」や、



都会の中の秘境駅、南海高野線の「木津川駅」の廃線跡、などは訪れて来た。廃止され、途中で切られて放置された線路が、麻痺してしまった自分の左脚に重なって見える。

バブル期の平成2年に会社に入社した私は、仕事を走り抜けて来た。体調管理もおろそかに。そして2016年(平成26年)、右脳の脳内出血で倒れ、後遺障害で左半身が麻痺、脳神経外科的には一生動かない、社会復帰も難しいだろう、と言われたが、その後のリハビリ病院でのリハビリのおかげでなんとか杖をついて歩けるように(エスカレーターやバスや電車には乗れるように)なった。もともと映像制作の仕事をしていたこともあり、最近ではインスタグラムに精を出している。


BGMを付けてミニ動画を投稿するのが最近の楽しみだ。

その撮影のためなら、滋賀県の信楽まででも出かけて行く。



「歩行訓練」というと聞こえはイイが、バスと電車で行ける所を平日にGoogleマップで見つけてシミュレーションしておき、土日になると出かけて行く。次は「今津灯台」に行ってみる予定だ。

私の「廃線」は、少し伸び始めているようだ。