一昨日、映画『君の膵臓をたべたい』のソフトを観ていた時、特典映像のメイキング映像を観て、作品の中で印象的なシーンとして登場する桜に包まれた川の上の橋が「伏見であい橋」という場所であることを知った。





桜の様子や川の広さから、勝手に東京の「目黒川」あたりかと思っていた場所が、自宅から電車で行ける場所だと知って、早速ながら、Googleマップでチェック。京阪「中書島駅」からの徒歩ルートをバーチャルで歩いてみた。

今日はそれをもとに、駅からはひたすら北上して行く。途中、バスともすれ違ったので、帰りはうまくバスに乗れれば駅まで戻れるかもしれない、と思った。途中のコンビニのイートインコーナーに立ち寄って水分補給。熱中症は脳に危険だ。コンビニを出て少し歩くと、道の右側に昔の港跡(おそらく川の港)がある、と入口に書いてあった。そういう場所は、ついつい覗きに入ってしまう。性分だ。

奥には川を見下ろす橋があった。これが後に助けになる。元の道に戻ってさらに北に向かうと、橋が見えて来た。この橋は、Googleマップで下見した時にも、「目印」として憶えていたものだった。橋を渡って右に階段を降りると川沿いの道に降りることができる。そこから川に沿って西に向かうと、その先に「であい橋」があるはずだ。階段を降りると、舗装された道ではなく川に沿って道があった。「おそらくこの先に目的地があるはずだ」とは思いつつも、確実性はあいまいなまま、川沿いに歩いた。すると目線の先に階段が迫って来た。残念ながらスロープはなかったので、杖だけで一歩ずつ登った。登るとその先が見渡せた。目線の先には「Y字」の橋が見えた。「あ、あそこだ」

と、思わず走り出してしまいそう(実際は走れないけど)な気持ちになった。たぶん杖を突きながらもスピードアップしてたどり着くと、そこには見覚えのある橋があった。早速インスタグラム用の動画を撮った。映画のシーンを想い出しながら動画を撮った。来年の春、桜が咲いたら、また来よう。



その後、歩いて来たのとは別の方に歩いてみると、求めていた「であい橋」と書いた欄干を見つけた。ここでもインスタ用の動画を撮影。



良い感じでお散歩中のおばさまが映り込んでくれた。

動画を2つも撮れたので、今日のミッションは終えた。先ほどとは対岸になる川沿いを来た方向へ戻る。来た時とは違って、いくら歩いても、一段低い川から上の道に登る階段やスロープが見つからない。「帰れるのだろうか、ひょっとして今来た道をすべて戻らなくてはいけないのか?」と不安がよぎった時、先ほど見た景色を思い出した。そう、あの「港跡」だ。この川の先を右に曲がれればあの場所に行けるはずだ。あそこには階段があった。そこでそこを目指して歩くと、思惑通り、その階段に辿り着いた。階段どころか、そこにはスロープがあった。難なく上に上って、バス道に出ると、思惑通り、中書島駅に向かうバスがやって来た。帰りはバスで楽ちんだった。中書島は、宇治の平等院鳳凰堂に行く時にも乗り換える駅だ。最初にリハビリ病院を退院してからも一度一人で会社の帰りに行ってみた。まさかこんな近くに大好きな映画の印象的なシーンとなった場所があったなんて、もっと早めにきちんと調べれば良かった、と思ったが、導かれるようにここに行けて良かった。これがいわゆる、「聖地巡礼」ってヤツか。

楽しかった。帰ってからまた、『君の膵臓をたべたい』を観た。「あ、あれ、あれ、今日あそこに立ってた!」とはしゃぐ姿を家族は何とも言えない顔で見ていた。笑

壮大な設定やイメージボードから入るハリウッド映画と違って、「本屋大賞」などのしっかりした原作がある邦画はその原作を忠実に映像化すれば、それだけで感動を生むことができる。しかしこの『君の膵臓をたべたい』には、原作にはない12年後の世界が描かれており、そこにしっかりとした役者を配することで、さらに良い(深い)作品に仕上がっている。病気だろうが、健康であろうが、一日の価値は変わらない。だからこそ懸命に生きるんだ、というメッセージが、障害者となった私のココロには飛び込んで来た。そして「名前を呼ぶこと(付けること)」でそれが自分の中で大切な、宇宙の中で特別な存在になる、という(大好きな)『星の王子さま/サン=テグジュペリ』からつながる考え方を図書室の映像で見せてくれる監督の演出に唸った。すべての障害者、医療関係者、そしてその家族に観て欲しい映画だ。できれば円盤を買って、特典映像も一緒に。そして来年の桜の季節に「伏見であい橋」の上でであいましょう。青い杖を突いた、帽子をかぶったオッサンがいたら、それが私です。笑