北京冬季オリンピックが開幕した。
その開会式の中継で、久しぶりに北京の「鳥巣(オリンピックメインスタジアム)」と北京の街を観た。
わたしが北京を初めて訪れたのは2007年4月17日。

翌年に控えた北京2008を控えて街は盛り上げムードだった。

その時からオリンピック映像との関わりが始まった。
北京の街には地下鉄が通っていたが、窓口で2元(28円くらい)の切符を買い、荷物検査を通ってから駅のホームに降りて行った。その切符で市内あちこちまで行けた。「鳥巣」もタクシーに乗って観に行った。建築のかなり早い段階で観たはずだ。そして2008年の夏季大会の後、数年後に再び別の仕事で北京を訪れた時、オフの時間に一人で地下鉄に乗って「奥運(オリンピック)公園」に行った。
地下鉄の駅は自動券売機、自動改札になり、車両の中には小型ディスプレイが設置されていた。
初めて訪れた時歩道には穴が開いていてよそ見していると足を踏み外しそうだった道はすべて綺麗になり、空港からホテルまでスーツケースをずっとキャスターを押しながらたどり着けた。
オリンピックで街は変わる、日本もきっとそうだったのだろう、と実感した。

あれから14年。同じ北京の同じ「鳥の巣」で開会式が開催されるのを観た。変わったのは自分の身体。左半身が麻痺せずにいたら、自分はあの場所に行っていただろうか。今日の北京オリンピックの開会式には、オリンピック憲章やオリンピックムーブメントへの敬意とリスペクトがあった。演出にも開会宣言にも。日本の
TOKYO2020では、オリンピックを「ワイドショーレベル」まで落とす、マスコミの伝え方があった。情けないと言うか、観ていて見るに(聞くに)堪えなかった。
バンクーバーの街で市民の人たちに街中でインタビューした時、そのコメントの素晴らしさに感動した。街のおっちゃんがきちんとオリンピックのことを理解し、リスペクトしていた。
日本ではIOCの会長をまるで個人的な欲や趣味でコロナ禍においてもオリンピックを強行したがった、みたいな報道が散見されたが、オリンピックというスポーツの祭典の歴史を背負った時、なんとかその歴史を未来へつなげたい、と思うのは会長として当然の思いなのではないか、と思った。
ローザンヌにあるIOCのオリンピックミュージアムには、近代オリンピックの歴史がふんだんに映像を使って展示されている。順にフロアをスロープで下りながら歴史を辿っていく。その歴史を寸断したのは、「戦争」という愚かな人間の行いだった。「オリンピックの歴史を止めたのは人間の愚かな行い(=戦争)だけなんだ」という事実を「反面教師」として人類が教訓として持ち続けるために、ウイルスに負けてオリンピックを中止にする訳にはいかない、と私は考えていた。同じことをバッハさんが考えたかどうかは分からないが、安易に「安全策」に逃げて中止するのではなく、日本のマスコミにヤイヤイ言われても開催の道を選んでくれて良かった、と個人的には思っている。