一昨日の夜中、突然の夢に目を覚ました。それは、不思議な岩山の上、岩に空いたトンネルのような穴をくぐって向こう側の崖を見ていた時、その穴を通って親子連れのお父さんが向こう側へ行き、張り出した岩の上からその向こう側をのぞこうとした時、それを見ている私の左側から息子らしい男の子がやって来て父親の方へ行こうとして前に歩き出した時に足もとを踏み外して真下に落ちそうになった。咄嗟に私は左手で、その男の子の襟元をつかんで、落ちるのを寸前で引っ張り上げた。

そこで、目が覚めた。

「亜脱臼している麻痺側(左側)の肩を下にしづらい私は、
右側を下にして横向きに寝るのが常で、目覚めた私の目の前に左手があった。
するとその夢に合わせるように、
麻痺して動かないはずの左手がしっかりと握られているではないか。ぼんやり目を開けた私のすぐ目の前で、左手がしっかりと動いて握られている。

こんな生死に関わるような咄嗟の事態が発生すれば、動くんだ、という思いと、同時に思い浮かんだのは幼い頃テレビで観た「アルプスの少女ハイジ」の中のワンシーンだった。フランクフルトからハイジのいるアルプスの山へ療養にやって来た車椅子の少女クララ。車椅子に乗っていて歩けないクララに、「こんなモノがあるからいけないんだ」と、ペーターは車椅子を崖の下に落として壊してしまう。
(ここまで書いて、ネットで調べてみると、車椅子を壊したのはペーターか、クララか、諸説あり、疑問が残っているようだ。)
↓ご参考
今ならTwitter上がペーターへの批判で溢れ、トレンド入りしそうなあのシーン、それは私の記憶では、「クララが立った!」の感動のシーンへとつながる。この、「医学的には治っているのに立てないのは勇気がないからだ」、でも何かのきっかけで立てるようになる、あるいは勇気を持つことで立てる、という演出はその後も日本のドラマなどで多用されてきたような気がする。広瀬すずちゃん主演の「学校のカイダン」での神木隆之介くんもそうだった。この演出、当時は「そんなものなのか」と思って観ていたが、いざ実際に半身が麻痺してしまうと、当人としては少々辛いところもある。「お前の麻痺側の手が動かないのは、お前の勇気が足りないからだ」「お前に勇気がないからだ」と言われているような気がしてしまうのだ。
でも夢の中で崖下に堕ちようとする男の子を助けるために、私の左手は動いた。
暗い部屋の中でぼんやり開けた私の目の前で左手がゆっくりと握られていた。
道を歩いていて左から何かが倒れて来たら、それを受けとめるために私の左手は動くのだろうか?
そんなリハビリないかな?
いや、「命がけ」って、危険過ぎてないやろ、と思うのであった。笑
あの男の子は何かの暗示(良い暗示)だったのだろうか。だと良いのだが...。

と思いつつ、今週もリハビリに取り組む。