テレビの朝の情報番組で、現在製作中、という「聾唖」の少女を主人公にした映画『咲む』の紹介をやっていた。
主役を務めるのは、実際に「聾唖」の少女で、彼女は取材に対してその映画の魅力について大きな動きの手話で身体全体を使って語っていた。
その姿を見ながら私は、「この子がもし、自分と同じような片麻痺(脳損傷の部位により、左右いずれかの半身が不随、動かせなくなる後遺症)になったら、もしかして彼女は自分の思いを充分に伝えられなくなるのではないだろうか?」と思った。
私の場合は右脳で脳内出血を起こしたため、左半身が「片麻痺」となっている。不便なのは着替えなどの日常生活動作ができなかったり、ステーキを一人で切れなかったり、パスタを「くるくる」できなかったり、ギターを弾けなかったり、という程度だ。しかし、彼女がもし片方の手が動かせなくなったら、こんな豊かな手話での表現はできなくなるだろう。これは大変なことだ。私は幸い会話には支障はない。ちょっと会話に「身振り手振り」がつけられなくなったり左手でツッコミができなくなった程度だ。
しかし、彼女の場合は、「話すこと」自体ができなくなってしまう(のに等しい)。

私は手話のことは詳しく知らないが、片手だけでできる手話、というのもあるのだろうか?もしあったとしても、それは今彼女が画面の中で精いっぱいに全身で表現しているのとはまったく違ったモノなのではないだろうか。

「障害者」と言っても、障害の種類や度合いは本当にさまざまだ。それぞれの人がそれぞれの障害と闘っている。

パラリンピックの選手の姿を見て、感動したり、勇気をもらったりするのも同じ、
皆同じ「チャレンジャー」なのだ。