大阪京橋にある「太閤園」。
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大学時代、ずっとアルバイトに行ってた所だ。藤田観光が、今年の6月末で太閤園を売却?するというニュースが流れた。

大学時代、先輩から代々受け継がれるカタチで紹介してもらったここのアルバイトは、「蛍の夕べ」というイベントの警備の仕事だった。太閤園には昔の藤田男爵?という方の庭園を使った広い庭園があり、そこで毎年夜に本物の蛍を放してお客様に観ていただく、というイベントが行われており(1980年代中頃)、蛍を観るために明るい照明もないため、子ども連れも多いお客様の安全を確保するために懐中電灯を持って庭園内にバイトメンバーが立ち、安全を見守る、というのが仕事だった。その流れで実際に毎日運ばれて来る本物の蛍を放つのもバイトの仕事だった。池の真ん中の「中之島」でカゴから取り出した蛍がいっぱいとまった枝をバーっと振ると、無数の蛍がまるで花火のように空中に飛び立った。
お客さんは歓声をあげて何枚も写真を撮った。でも自動的に「フラッシュ」が光るので、おそらく現像した写真にはボクたちバイトの姿しか写っていなかったことだろう。
詳しくは秘密だが、懐中電灯を使った「蛍寄せ」の秘技があり、お客さんの姿が途切れた時にそれで自分の身体の周りに蛍を渦のように集めておくと、子どもたちのヒーローになれた。
源氏ボタルと平家ボタルの違いもすぐに憶えた。
バイトには「まかない」の社員食堂の食事が付いていて、「麦飯」が美味しかった。「大相撲中継」を食堂で観ながら食べた。食事代が浮いてバイト代ももらえるアルバイトは当時の貧乏学生にはありがたかった。その仕事を統括していたのが庭園や施設を管理する部署だったので、夏が終わってもアルバイトは続いた。
庭の掃除や水やり、屋根の上の落ち葉の掃除、エレベーター内の掃除、シャンデリア洗い、と年間を通して仕事はあった。冬には何日か連続して行けばスキーツアー代が稼げるので、「アイツ、今週大学来ないなぁ」と思うと、今週はスキー行くために「太閤園週間やで」みたいな感じだった。園内の裏ルート、抜け道も詳しくなったので、就職してから会社の懇親会で宴会しに行った時も、サプライズゲストをその抜け道ルートで移動させて登場させたり、というような企画もできた。

あの頃一緒にバイトした仲間も今は散り散りでそれぞれの人生を送っている。

6月末で閉まってしまう、と聞くと、そのメンバーで集まってかつて掃除やメンテ作業をしたレストランで食事したり庭園を散歩して想い出話に花を咲かせたい所だが、コロナ禍でそうも行かない。

当時の社員の方々は今どうされているのだろう?

自分も障害者になってしまい、気軽に訪ねて行くこともできない。

やはり月日は流れている。

「太閤園」よ、永遠に!
と学生時代のノスタルジーも含めて
想いを馳せて今夜は眠ることになりそうだ。