平昌には行けない。北京、バンクーバー、ロンドン、ソチ、リオ、と関わってきたオリンピックに関われない初めての大会だ。
オリンピックという素晴らしいスポーツの
大会と、「世界平和」と「スポーツを通じた若者の育成」という理念が花開く最高の舞台に「映像」というものを通して関わってくることができたのは、誇りであり、幸せな瞬間だった。オリンピックがやって来る、ということで歩道にも大穴が空いていた街がドンドンとキレイになり、夜になると女の人がパジャマ姿で町中を歩いていたのがすっかりいなくなり、「鳥の巣」と呼ばれたメインスタジアムが五輪公園に変わっていく様(一つの都市がオリンピックと共に様変わりし、大きく進化していく様)を目の当たりにした【北京2008】、開会式会場を突然飛び出して聖火を持ったまま走り出した聖火ランナーがどこに行ったのか分からず、IBC(国際放送センター)の隣に聖火台が作られていてそこで聖火が燃えていることを知って急にコーディネーターさんに頼んで車を出してもらって夜中に現場を確認しに行き、翌日撮影した【バンクーバー2010】、
開会式会場に入れず一人オリンピックパーク内をさまよっていた時、急にスタジアムの側面が照明で照らされ、壁が開いて中から出てきた聖火ランナーが目の前の聖火台に点火し、聖火点灯とともにたくさんの花火が打ち上げられるのをおそらくスタジアムの中の人たちよりも最も特等席で目の当たりにした【ソチ2012】、開催1年前に開会式会場となるマラカナンスタジアムを近くの丘の上にある貧民街(ファベイラ)に入って行って撮影した【リオ2016】。脳内出血で倒れてしまい、リオの現場には行けなかったが、病院の食堂のテレビでおじーちゃん、おばーちゃんたちと一緒に生放送を観ながら、居ても立っても居られずに現地で開会式を4Kで高画質撮影をしているスタッフに携帯で電話をかけて、「こんなふうに撮影してほしい!」とお願いしたこと、
現場の記憶と思い出は、すべてのオリンピックと共にある。
パナソニックに入社し、映像の仕事ができ、オリンピックに関われたことにあらためて感謝の念を感じる。そして北京大会開会式やバンクーバー大会開会式やロンドン大会開会式の3D撮影、ソチ大会開会式、リオ大会開会式の4K撮影は、他に撮る人(放送局など)がいない、という状況の中、「俺たちが撮らなきゃその時代の最先端の映像技術で撮影した映像が人類の歴史に残らない」という変な使命感で取り組んだ。自分の不摂生が原因で関わることができないオリンピックがまもなくやって来る。その時、自分はどんな思いでその中継映像を観るのだろうか。