それは、突然のことだった。
地球を一周するロケ(映像撮影)から帰って来て再開した変わらない日常からしばらく遠ざかり、目が覚めると「見知らぬ天井」の下にいた。その天井の下の窓の外にはモノレールが走っているのが見え、その下をたくさんの車が走っていた。特に「どこかが痛い」とか「何かが思い出せない」ということはなく、いたって普通の感覚だった。
窓から見えた景色からぼんやりした頭で考えたのは、「ここはきっと沖縄だ」ということだった。自分の知識の中に、大都市の真ん中をモノレールが走っている場所、ということで思いついたのが沖縄だった。今思えば、それ以外にもラスベガスなどもあったと思うが、周りには日本人ばかりだったし奥さんや子供たちも見舞いに来てくれていたので、さすがに外国とは思わなかった。担当の言語聴覚士さんは、後から聞くと本当に沖縄の出身だったらしいし、何となく、「元いた場所からは遠く離れた場所にいる」という感覚だけはぼんやりとした意識の中で認識していたのかもしれない。
そこは自宅から近くの豊中の「リハビリテーション専門の病院」だった。左半身が麻痺した状態だったので、車椅子に乗っても手で車輪を回すことはできず、足先だけでチョコチョコと進むトコロからのスタートだった。
その病院での5ヵ月強に渡るリハビリのおかげで、何とか右手で杖をつきながら歩けるようになって退院した私に次に待っていたのは「居場所探し」だった。半年間も我が家のように暮らし、毎日顔を合わせていた看護士さんや療法士さんはもういなくなり「何もない日常」がやってきた。家で介護用ベッドに延々と寝ていても何も始まらない。
「元の職場に復職するためには何かしなければいけないのではないか。」と焦るような気持ちになり始めた時に通っていたリハビリクリニックの療法士さんから「作業所」という存在を聞いた。
障害者総合支援法による「就労継続支援事業所」の「B型」だという。決められた時間に決められた場所に行き、一定時間集中して作業をする。いかにもリハビリ、という
クリニックの空間にいるよりは、もう少し仕事の場や感覚を思い出させてくれそうな
予感がした。
それから一度見学に行き、親切なスタッフの
方と和やかな雰囲気と空間に「次の居場所はここにしてみよう」と思った。そこは偶然にも自宅からほど近い場所、倒れる前には毎朝立ち寄っていたコンビニの前にあったが、まったく意識したことはなかった。
「ゆずりは作業所」という名前のその作業所に通い始めてしばらくして、その作業所の見学者への説明用資料をパソコンで修正する、という作業を担当することになった。
その資料の表紙には「ゆず」りあい、「リハ」ビリしながら「作業」する場「所」、というコピーが書かれていた。私はそのコピーに
込められたとても温かく優しい気持ちにほっこりしながら、
ゆず」りあい、「リハ」ビリしながら「作業」する場「居場所」、というふうに言葉をたしてみた。するとそれはとてもしっくり来た。あっちでは今日のお昼ご飯を料理しているスタッフさんとお手伝いしている利用者さんがワイワイとにぎやかにやっている。こっちでは食後のコーヒーのためにコーヒー豆を手挽きのミルで挽いている人がいる。自分はパソコンの画面を開いて文書作成をしている。
居心地の良い、決して「無理してがんばる」ことを強要しない、居心地の良い「居場所」だった。その時作った資料がその後実際に使われたかどうかは知る由もないが、私にとってはそれ以降、「ゆずりは作業所」の「所」は「居場所」の「所」だ。自宅でも、病院でも、会社でもない、大切な「居場所」になった。ふとスターバックスコーヒーの「サードプレイス」という言葉が浮かんだ。様々な年代の利用者とスタッフさんが朝会うと「おはようございます!」と互いに挨拶し、笑顔を交わす。思い思いの会話が生まれる。笑い声が聞こえる。人と関わり、何かを創り出す作業をする、大切な「居場所」だ。
〜死に損なって生き延びた人間は、
              「居場所」を探している〜