阪大で過ごした4年間には大学祭が3回あった。思えば今の自分や就職の時の進路決定に大きな影響を与える経験をそこでした。1〜2回生の教養課程では石橋キャンパスで2回、人間科学部の学部に進んでからは吹田キャンパスで1回、学部単独の学部祭があった。1回生の時はミスタードーナツさんのご協力をいただいて
ドーナツ店を出した。もう建て替わってしまったが、石橋キャンパスには「ロ号館」という校舎があった。「イ号館」というのも
あったから、おそらく「イロハ」の「イ」と「ロ」だったろう。「ロ号館はその名にふさわしく上から見ると「ロ」の字のように四角く並んだ校舎の中央部分が中庭になっていて、当時そこは草ぼうぼうで講義スケジュールやお知らせが貼り出される掲示板が設置されていた。学祭に参加する人たち、最も多かったのはサークルなどの単位での参加だ。軽音サークルのバンドがライブをやったりするのがありがちの姿だった。しかし我々人間科学部は
学部のクラス(1組と2組)で参加することにした。1組は喫茶店をやると決めていたので、どこかの講義室を使うつもりだった。下見を兼ねて、2組の仲間たちとロ号館の講義室を回った時、各講義室を回りながら気付いたことがあった。それはロ号館の構造上、廊下がすべて中央の中庭に面する校舎の内側の側面にあり、どの廊下を歩いていても中庭が見える、ということだ。「ここ(中庭)、ええんちゃうか?」というのが下見に行った仲間たちとの結論だった。そして場所取りの会議当日、「ロ−10号室を使いたい人?」「ロ-19号室?」と希望を出し合う中で僕たちは「中庭、希望します!」と手を挙げた。そんな草ぼうぼうの屋根もない場所を使いたい、と言う人は他にはおらず、誰かとバッティングすることもなく、スンナリと僕たちは中庭を使用する権利を得た。いざそうなると次の問題はそこに生え放題だった雑草の草むらだった。そこで僕たちは授業の休み時間を利用して草むしりを始めた。軍手を用意して決まった場所に置いておき、授業の合間や授業のない時間を利用して空いている人は中庭に来て軍手をはめて草を抜いて行く。僕はその
間、キレイになった中庭で何をしようかを考えていた。下手な料理でも出して食中毒でも出してしまったら大変だ。そこで考えついたのはこのベストポジションにせっかく手間をかけて作り出す中庭という空間を売ろう、ということだった。中庭にテーブルと椅子を並べてオープンカフェのような場所を作ってしまい、呼び水となる何かを売る。「何か」にはドーナツを
選んだ。当時いとこのお姉さんがダスキンに勤めていた。ダスキンがやっている
ドーナツチェーンがあの「ミスタードーナツ」だ。大学の近くのミスタードーナツの
お店の店長さんを紹介してもらい、そこからドーナツを仕入れて売ることにした。数日後にはキレイな中庭がその全容を現した。その空間は大学祭の喧騒の中でゆっくりと時間が流れる素敵なカフェスペースになった。ドーナツとドリンクのセットメニューを注文すればそのスペースに座ってゆっくり休んだりおしゃべりすることができる。僕たちは4日間の学祭でそこで3600個のドーナツを売った。最も利益率の高かったのは当時まだペットボトルではなく巨大な1リットル瓶に入ったコーラやファンタなどのドリンクとインスタントコーヒーだった(笑)。
この中庭は翌年、2回生の時の学祭で再度活躍することになる。
翌年の場所取り会議では、前年の実績と「あそこを実際に草むしりして使えるようにしたのは俺たちだ」という自信と発言力で文句なしで中庭の使用権利を得た。そこで作ったのは、当時ブームになりかけていた「立体迷路」だった。立体迷路の作り方はこうだ。マンションの建築や外壁塗装などの時に壁に沿って組み立てられる足場の資材(たしか「ビティ」という名前だったと思う)を向かい合わせに並べて組んだユニットを基本の単位にしてそれを中庭に隙間なく碁盤状に並べ、それに設計図に従って東急ハンズで買ってきたビニールのシートを壁として張っていく。工事の足場なので階段のパーツを使えば立体交差も作ることができる。足場は学祭のメインステージを組むために主催事務局がレンタルするので、それを少し追加注文して手配するだけで済んだ。後は設計図だ。僕は授業中、方眼紙に迷路の設計図を夢中で書いた。不思議と役者は揃うもので、そうやって設計図を書いているともう少し緻密でキッチリした性格の友だちが設計図をチェックして修正したり改善してくれた。そして学祭の前日、学部の全員、110人が中庭に集まって資材運びと組み立て、迷路作りに参加してくれた。どこから聞きつけたのか、エルマガジンなどの雑誌の人が取材に来てくれたりもした。ここで「企画してモノを創り出して発信して楽しんでもらう」ことの楽しみを経験したからか、僕たちの学年はメーカーに就職して宣伝や広報などのコミュニケーション職能に就いた人が多かった。立体迷路は大人気となり、4日間で50万円以上の売上げを記録した。
石橋キャンパスでの集客力の高い学祭の翌年は、駅から歩いて40分以上もかかる吹田キャンパスでの「学部祭」が待っ学祭の楽しさを満喫していた僕たちは、
先輩から「学部祭には誰も来ないぞ」と
聞かされて何をするか悩んだ。そこで思いついたのは、学外からのお客さんではなく、そこに来ている人、つまり僕たち自身と隣の薬学部などの学生を想定して「自分たちが楽しめる学部祭にしよう」ということだった。学部の建物の前には広い駐車場があった。近くの阪急山田駅の側には古い線路の枕木がたくさん積まれた集積所があった。僕たちはそこにふるい枕木を譲ってもらえないかお願いに行った。そして学部祭前日、僕はレンタカーで借りた軽トラックを運転してその集積所を訪れ、大きな枕木を譲ってもらい皆でトラックに積み込んで学部前の駐車場まで運んだ。そこからその大きな枕木を積み上げてファイヤーストームを作った。
日が暮れる頃点火したが、枕木には重油が染み込んでいて、長期間雨ざらしで置かれていたからか、なかなか火が燃えてくれない。今から考えると本来なら近くの消防署とかに事前連絡をしておかないといけなかったのかもしれないが、11月の寒空の下、僕たちはそのまま朝まで火の番をしながら燃やし続け、すべての枕木を燃やし切った。卒業を1年後に控えたタイミングで友だちと夜を徹して火を燃やしながら語り合った時間は貴重で有意義だった。そういう意味では学部祭は成功だった。予想通り外からのお客さんは1人も来なかったが。
もう30年以上も前の話だが、友だちと取り組んだ一連の動きとその結果は貴重な経験となった。今でもスラスラと文章に書けるほど鮮明に憶えている。