今日は会社に行った後、大きな荷物があったので奥さんに会社まで車で迎えに来てもらってクリニックまで送ってもらった。いつもに比べると歩く距離が短いので、クリニックの少し手前で降ろしてもらって最後は運動に歩いてクリニックまで行くことにした。
そこからクリニックまでの途中には、小さな山のある公園を迂回して行かなくてはならない。しばらく公園の縁に沿って歩いた所で、小山に向かって登って行く緩やかな坂道を見つけた。もちろんそのまま
縁に沿って行けば高低差はなく、たいらな道を通って行ける。
しかしその時、無意識にその坂道に入って登り始めた自分に気づいた。
思えばこういう時、いつもつい「知らない道」や「初めて通る道」「下り坂より上り坂」を選んでいるような気がする。坂道を登りながらそれに気づき、ゆっくり登りながらどうしてかを考えた。そんなこと、考えたこともなかった。そして共通しているのは「その先がどうなっているか分からない」ということだと気づいた。昔から「下り坂より上り坂の方が好き」というのは自覚があった。理由も「下りは行き先がすべて
見通せる」が、「上りは上り切った先に何があるか登ってみない限り分からない、それを見てみるのが楽しみ」だからだと思っていた。「知らない道を選ぶこと」は、五体満足な時には大したことではなかったが、杖をついて歩く今の状態では選択を間違うと大変なことになってしまう。それでも知らない上り坂を登っている自分は、よほど「何が起こるか(あるか)分からない道を選ぶのが好きなのだと思った。仕事もそうだった。誰もやったことのない仕事を自分で作って夢中でやっているうちに、それが一つの「仕事」になり、それに合わせるように組織ができた。進む道は初めて進む道なので、先輩がいる訳ではない、常に探りながら行き先(進む方向)を
決め、仲間と一緒に進んで来た。一緒に進んでくれた仲間には本当にお世話になったし、苦労も負担もかけたが、「初」と呼べる仕事や「チャレンジ」と呼べる仕事をすることができた。先述の「大きな荷物」は、会社に置いてあったこれまでにいただいた仕事の「表彰トロフィー」だった。カタチとして誇れるいただいた評価の証しだ。道のない所に踏み込んで先に見られる景色を楽しみにして歩んだ道が道となり、評価をいただけたことは多くの仲間に感謝しながら大切にしたいと思った。
_var_mobile_Media_DCIM_100APPLE_IMG_0850.JPG