今日は近くの「熊野田第2会館」の管理人をされている作業所仲間のIさんを訪ねて行った。何度かこれまでも訪ねて会うことができず、空振りに終わることが多かったが、先日作業所で会った時に「ピンポン鳴らしてくれな!」と言われていたので今日は鳴らしてみるともう灯りも落ちて暗い会館の奥から出て来てくれた。
中に入ると早速、「将棋しよか」ということに
なった。Iさんは作業所でよく他の利用者さんと将棋をされていて、 訪ねて行くきっかけも「将棋でもしにおいでや」だったので、願ったりかなったりだった。将棋なんて父親に教えてもらって子どもの頃にやってから、枚方の小学校でものすごく流行って毎日のように放課後友だちとやって以来だ。結果は1勝2敗で、年の功には
敵わなかった。お煎餅をもらって2人でボリボリ食べながらの対局、飛車角の成った文字もおぼろげな記憶のままだったがまた脳の違った刺激と運動になって良かったような気がした。ひふみんの得意技「棒銀戦法」も「穴グマの守り」も遠い記憶を頼りにやってみたが、記憶通りに上手くは行かなかった。
その後、しばらくおしゃべりをした。Iさんは複合商業施設のお仕事をされていたらしく、私の実家の姫路近辺で仕事をされていたこともあったらしい。少し共通の話題ができたことで会話も弾み、いい時間(夜の7時)になったので帰ることにした。もう帰り道は真っ暗だったが、ゆっくり今日のブログに書くことを考えながら歩いた。Iさんはとても笑顔が素敵なおじさんで、さだまさしの「フレディもしくは三教街」の歌詞が頭に浮かんだ。
https://youtu.be/aMSJqOyz3E0
この唄を口ずさみながら暗くなった近所の道を歩く。
思い出されたのは
中国の「武漢」という街の風景だ。まさしく歌詞の通り「揚子江沿い」の街で、一度だけ撮影で訪れたことがある。ホテルから見た広い揚子江越しの夕日を印象的に憶えている。この街では「中国4千年の歴史」を感じる不思議な愉快な体験をした。夜、ご飯を食べにカメラマンさんと一緒に街を歩いてたまたま入った「火鍋屋」さん。まったく中国語の分からない日本人2人が突然やって来たにもかかわらず、
お店のご主人と奥さん(のオバちゃん)は愛想良く迎えてくれた。こっちは大阪弁しかない。意外と中国語と大阪弁は相性が良いのか、言葉のテンポ感やガツガツ入って行く感じが噛み合うものだ。しばし意味も分からず注文してしゃぶしゃぶと鍋を食べていると、奥さんがやって来て私の腕をつかんで壁際のテーブルの前に連れて行った。
そこには何かは分からない様々な香辛料や香味油のようなものが山ほど並んでいた。小さなお椀を持たされて次々と言われるままのものをお椀の中に入れて行く。ひと通りテーブルを巡った末に手もとのお椀にミックスされて出来上がった謎のタレのようなもの。それに鍋の中身を漬けて食べると、何とも言えず、超美味い!
「何が起こったの?」という感じでその出張、いやそれまでの中国出張の中でもナンバーワンの記憶に残る美味しい鍋をいただくことができた。
そんなことを懐かしく思い出しながら家への暗い道を歩いた。

杖をついて歩くようになってから、歩く時間がとても豊かなものになった。
シルヴァスタインという作家さんの「ぼくを探しに」という絵本がある。身体の一部が欠けている「ぼく」は「ぼく」には足りないところがあると思ってそれを探しに旅に出る。途中、道ばたの花やとまっているチョウチョとお話をしながら。そしてついに「ぼく」は自分の欠けているところにピッタリハマる「かけら」に出逢う。そしてその
「かけら」をかけているところにはめると、完全なまん丸になった「ぼく」は勢いよく転がり始める。そのスピードはそれまでとはまったく違うスピードで、「ぼく」は道ばたの花やチョウチョともゆっくり話をすることもできなくなってしまう。ひたすらに速いスピードで走り続けて派手に転んだ自分は、おかげでちょっとした道の傾きや歩行者信号が青になっている時間の長さ、エンジン音のしない電気自動車などのことに気づきながらゆっくりと歩くことができている。ゆっくりでも良いから「口角上げて笑顔で進むこと」の大切さを奥さんに教えられながら。さあ、次はどこへ歩いて行こうか。