脳内出血で倒れて身体的に残ったのは左半身の麻痺だったが今は何とか右手で杖をついて歩けるようになって退院した。ずいぶんリハビリしたが、かなりリハビリには真面目に取り組んだ方だと思う(周りにそう見えてたかどうかはわからないが)。それには「きっかけ」となる出来事があった。
脳の病気から運良く生還できた人はみんなそんな感じじゃないかと思うが、ぼぉーっとして自分が自分じゃないというか、誰か、なんて考える余裕はなく、ただ一日を送る、という感じだったと思う。今ではもう、あまり思い出すこともできないが、その「出来事」は今でもかなり鮮明に憶えている。この話は色んな所で色んな人に話して来たので、ご存知の方もいるかもしれない。「言語聴覚士(ST)さんのリハビリの最初の頃、「好きな唄」を尋ねられたことがあり、学生時代よく聴いていたスターダストレビューの「トワイライトアヴェニュー」と答えた。すると次のリハビリの時、彼女は自分のiPhoneにその唄をダウンロードしてきて突然聴かせてくれた。小さな部屋の中でiPhoneのスピーカーから流れてくる懐かしい声とメロディー。思えば奥さんにプロポーズしたのもこのバンドのコンサートの帰りだった。そんなことを考えるヒマもなく、音楽が耳から入って来たとたん、流れる歌声を聴いているうちに、突然目から涙が流れて来た。止めようしても止まらない。どこかで蛇口が壊れてしまったかのようにポロポロと流れて来て、目の前にSTさんが座っているにもかかわらず、1曲分、たっぷり号泣していた。そんなこと(歌を聴いて泣くなんてこと)は経験したことがなかったし、薄れていた記憶の中でも人生で初めての体験だった。そして驚くだけではなく、不思議なことを考えた。思い返せばそれがリハビリに自分なりに真面目に取り組んだ理由になって行く。
今、この涙を流させているものは何だろう?
それは自分が考えても思い当たらない脳の中の何か「可能性」だ。
すっかり駄目になってしまったかと思っていた自分の脳の中にはこれだけの涙を流させるだけのエネルギーと「可能性」が残っている。
駄目になった、と勝手に決め込んではいけない。この「可能性」を引き出してくれるのが療法士さんであり、リハビリなんだ。
そう図らずも自分の流した涙で実感した私は「高次脳機能障害」と闘うこととリハビリに真面目に取り組むことを決心したのだった。
効果はかなりあったのではないかと思う。
PTさんのリハビリもSTさんのリハビリも「きっとどこかで(耳からの音楽が涙につながったように)つながる日が来るのだ」と変に強く信じてバランスよく取り組んだ。
その日が来るのは明日か明後日か、1ヶ月後か分からない。あの日の涙のように、突然流れ出すのかもしれない。

今はいつか、動かせるようになった左手でギターを弾きながら歌うのを夢見てリハビリに取り組むしかないと思っている。
脳の中の「可能性」を信じて。