1月25日(日) 方向を間違えて、玉手公園に登る羽目になった。 駅から歩くこと30分,急な坂を登りつめ、公園内に入るといきなり後藤又兵衛の記念碑があった。 真田太平記の愛読者である私は、立ち尽くし、しみじみと感慨に耽ったものである。
後藤又兵衛といえば、黒田孝高(官兵衛、如水)に見込まれて黒田家に仕え、槍の名手として名を売った戦国武将であるが、孝高の嫡子長政と折り合いが悪く、黒田家を飛び出し、長いこと浪人をしていた。
豊臣秀吉没後、天下を狙う家康が画策イチャモンをつけ、最終的には大阪夏の陣で豊臣政権を滅ぼすわけであるが、最後の決戦場である大阪城に後藤又兵衛も、大坂方の助っ人募集の浪人集めに応募し、最後の死に花を咲かそうと入城、大坂方として戦い、結局討ち死にするが、その場所が私の頭の中では定かではなかったが、偶然その場所にであったわけであるから、驚き、感激した次第である。
大阪城から、あの場所まで迎え撃とうと出撃したとは、(たとえ騎馬であったとしても)すごい馬力である。