海野十三に興味がありますってコメント頂いたので、ちろっと思い出を語りますラブラブ
 
ふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイング
 
家でひとり留守番することも多かった私は、携帯電話を周りより早く持っていた。親との連絡用だったそれは、段々多機能になっていき、小6にもなると、ネット閲覧もできて写真も撮れる多機能モバイル機器となった。当時は機種変更がかなり割安で、毎年、誕生日のプレゼント代わりに新しい機種にしてもらうのが楽しみだった。
すこし経って、「アプリ」という概念を知った頃、漫画や小説を携帯電話で読めることを知った。今で言う「ガラケー」のアプリボタンを押すと、ゲームや電子書籍リーダーを使うことができた。携帯会社のキャンペーンで、無料で「着うた」や「着うたフル」をDLすると同時に、それら電子書籍も読んでみたのだった。そこで出会ったのが青空文庫である。私にとって青空文庫は「携帯」から出会ったコンテンツだったのだ。
御存知の通り、青空文庫とは著作権切れなどの作品を電子で自由に読める図書館のようなwebサイトである。携帯電話で閲覧できる青空文庫リーダーアプリを使って、私はたくさん古い作品を読んだ。お気に入りの作家の1人が、海野十三だった。
 
 
うろ覚えだが、私の使ってたアプリでは、ジャンル別に作家や小説が紹介されていた。私は、”怪奇・幻想・SF”だったか……とりあえずSFという文字に惹かれ、そのジャンルの作品を熱心に読んだ。海野十三、そして夢野久作。携帯電話の画面なので、主に読んでいたのは短編だった。私はその青空文庫リーダーにあった作品を、少なくとも夢野久作と海野十三は全て読みつくした。
あるときは移動中のバスの中で。あるときは夜中、布団の中で。携帯ばかり見ている私に親は注意するが、「本を読んでるの!」と思春期らしい棘のある声で答えた記憶がある。昔から、本ばかり読んでいる娘だったので、本ばかり読んでいないで勉強しろと注意されていたのと、全く変わらない。
携帯ばかり見ている中学生、当時の俗流若者論から標的にされる表象そのままだった。新しいジャンル「携帯小説」が驚きと嘲笑と共にメディアで取り上げられ始めたころだった。私は「携帯小説」と呼ばれるジャンルには興味はなかったが、携帯で小説を読み、そして携帯で小説を書いていた。小学6年生の頃から、メールの下書き画面に、詩や小説を書き溜めていた。どこでも書けて、誰にも見られない。
 
夢野久作や海野十三(他の作家も当然読んでいたはずなのだが強く覚えているのがこの二人だ)を紙の本で読んだのはそれから随分あとのことだ。
私にとって海野十三の作品は「携帯小説」であった。たくさんの短編。スキマ時間にどこでも読めて、面白くて、古くてすこし怪しい。海野十三が有名であることも知らなかった。少しググればわかること。そうなのだけれど、ネットで調べて初めて、知る情報だった。
 
全ては小さな携帯電話の画面からだった。
鉄、機械油、積もった埃が匂い立つような、怪奇、幻想、空想科学の世界……
たった十数年の懐古だが、あの小さく粗い画面から出会ったそれらは、ごく普通の古書よりも古臭い記憶として残っている。
 
ふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイング
 
 
久々にブログを書いたので、ブログというよりコラムっぽくなっちゃったぜ。
この話はいろいろなところでしてます。私の読書経験の中の大事な部分です。
昔の作品は昔の作品にしかない良さってあるし、今は狙って出せない「可怪しさ」ってのも楽しめるよね! 
色んな媒体で気軽に読める時代は嬉しい。懐古してるけど、今あのガラケーで小説読むの無理だもん。目が痛いよ。若さゆえ?いや、だから目が悪くなった?
 
 
ふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイング
 
ブログコメントは全て読んでます!いつもありがとうラブラブ
最近サボりがちですが、また2月のお知らせ、どんどんこちらにも書いていきますね。