日常に戻るぞ!とさくさくお仕事本や積読本を読み進んでいたのですが、少し落ち込む文章に出会いました。

「女性に対する痴漢行為に対する反省から、疑わしきは全て罰するという野蛮行為がまかり通っている。明らかに女性による男性への逆差別である。」『差別感情の哲学』


これは、肩を叩き車内で携帯通話注意してきた友人を「痴漢」と返した女性について書いたご老人の新聞投書を挙げたあとのまとめです。

引用の後に続いたのが、まずこれ

「彼女がもっと攻撃的であれば本気で彼を痴漢に仕立て上げたことであろう」
「彼は警察に通報され、長い取り調べを受け、起訴され、有罪になるかもしれない」
「だから男たちは恐ろしくてなにもできないのである」

そして、先述の「逆差別」に続きます。



まず、彼女がもっと攻撃的であれば~は、著者の想像です。投書は(後略)とあるので、最後どうなったかはわかりません。結果、その女性は痴漢に仕立て上げることはなかった、または出来なかったのでしょう。

さて、この事件。この投書をしたご老人の友人は、きっと正義感で注意したんでしょうに、痴漢呼ばわりの不名誉、同情します。

ただ、私は、「老人が注意をしたら逆ギレしてきた若者」という枠で捉えました。

肩を指で叩いて、「切れよ」と注意。
女性は「痴漢」だと言う逆ギレの言い分を手に入れたのだろう、と。「痴漢」「肩触った」と言ったそうですから、触ってないところを触ったとは言っていないみたいです。
ガラの悪い男性だったら、肩を叩かれたら「あ!? 何様だよさわんじゃねー」なんて言うかも…。

とはいえ、知らない男性に肩を叩かれたら嫌だな…と思う自分もいました。マナー違反をしていて、肩を叩いて「切れよ(とかなんとか)」と注意されたとき、「どーせ若い女だから注意したんだろ、ほら、あっちの厳つそうな男は無視じゃん」なんてちょっと心の中で毒付くくらいは、あるかもしれません。

どちらにせよ「若い娘さんのトンチキな逆ギレ」「近頃の若い者には注意もできない、困った困った」
という話だと思いました。




なぜこの投書から

「女性に対する痴漢行為に対する反省から、疑わしきは全て罰するという野蛮行為がまかり通っている。明らかに女性による男性への逆差別である。」『差別感情の哲学』

になってしまうのでしょう?



「彼は警察に通報され、長い取り調べを受け、起訴され、有罪になるかもしれない」
⇨かもしれないというが、通報以外は日本の警察と司法の問題


「だから男たちは恐ろしくてなにもできないのである」
⇨実際このご老人は肩を叩いて注意しているのだが…


少なくとも、通報は「女性」がしたとして、それ以外は日本の司法に則って行われます。「女性」が私刑するわけではありません。
痴漢をでっち上げる女性がいたとして、全く証拠もなく、彼女の主張通り有罪になる世の中は、私も恐ろしいです。犯罪をでっち上げられて、そのまま有罪になってしまうなんて!

また、嫌疑をかけられただけで、その後もその疑いが社会的に晴れない。これは日本社会によくあることではないでしょうか。容疑者の段階で、犯人扱いの報道がされています。
「痴漢」だけ、特別なのでしょうか? しかも痴漢は軽犯罪なのです。迷惑防止条例違反。ほとんど報道もされません。

繰り返しますが、投書の話だって、ご老人は痴漢疑いをされたわけでもなく、もちろん、通報もされてません。

いつどこで野蛮行為がまかり通っているのでしょう。
その野蛮行為は「女性問題」なのでしょうか?
疑わしきは罰せずの原則が、特定の犯罪で機能していない。これは「女性問題」にしていいことなのでしょうか? 実際起こっているのなら、それは大問題ではないでしょうか?

自白を引き出す取調べは、様々な冤罪確定事件で問題になっています。

これは、重犯罪から軽犯罪まで、犯罪の種類は関係ない、警察や司法の問題なのではないでしょうか?


著者が言う、権力を持った痴漢撲滅運動について、教えて欲しい。

昔よりも性犯罪にセンシティブな世の中になったこと
性が関わる犯罪は、被害、加害、共に扱いが難しいこと
それは事実でしょう

でも、痴漢だと言えば、さっと痴漢扱いされた人が有罪になる、そんな権力を我々は持っていたのか?
そんなの、知らなかった!
泣き寝入りを選択する日々だったのに!



最近、女子高生が発端になった痴漢抑止バッジ運動。1人の高校生は、その権力を持った「痴漢撲滅運動」とやらに救われることもなく、被害に苦しみ、たった1人で、手作りのカードを鞄に下げていたのです。
どこに権力があるのですか?
教えてください。
性犯罪に苦しむ子供たちを救う権力は、一体、どこにあるのですか?