アイドルのセキララな日記は需要があるそうだ。
ということでセキララに記していく。
数冊並行して本を読んでいたが、趣味の本が片付いたので、頭の中もすっきりした。妙な時間に寝て、妙な時間に目覚めてしまった。
食欲は、ない。甘いものしか食べる気がなく、甘いパンを食べながら挽きたてのコーヒーでも飲もうかとコンビニに向かう。
近くのコンビニは歩いてXX分ほどだが、雨上がりの、曇天、しっとりとした空気が気持ちよく、近所を散歩することにする。
散歩中見るものは住宅だ。
新築ではない住宅が好みだ。集合住宅では、つややかなタイル貼りだったり、白壁だったりする、昔流行った外壁に、曲線を多用した柵、ベランダから飛び出る緑、積み重なった豊かさと古さの味わいが味わい深い分譲マンションが好きだ。
内装も、深い色合いで重みのあるクラシックなものが好きなのだが、好みのマンションが賃貸に出されているのを見ても、そのまま経年劣化しているか、現代風のリノベーションがされていることが多く、あの時代の内装のまま美しかったらどんなによいかと思う。そもそも借りられるような金はないが、目ばかり肥えてしまった。
また、小さな建物も眺めていて楽しい。新興住宅地ではないので、様々な年代に建てられた家、店舗兼住宅、アパート付き住宅、古い住宅をリノベーションした新興企業らしきお洒落な事務所、と立ち並んでいる。
建ぺい率限度いっぱいに建てられた築数年の住宅、小さな子どもの傘が掛けられた玄関、10年後、20年後にどんな色を見せていくか楽しみである。
美しく熟した家は、築何年であろうと憧れる。広さや豪華さではない。
もちろん、デザインの好みはあるだろうが、住人がいかにその住まいを愛しているかは伝わるものだ。ペラリとした建具なんて使っていないであろうと思わせる、重厚感(実際どうであるかはわからないし住むなら便利さも大事だろうが)。一家の大黒柱はきっちりちゃんとした退職金をもらっていそうだ、と思う。これはただのイメージで、重厚感のある住まい、手入れされた住まいからは、安定した生活とゆとりを感じるという意味なのだが、少し例えが下衆かったかもしれない。和洋折衷の重厚感。応接室があるような一戸建て。サンルーム。この土地には珍しく小さな庭もあったりして。
歩き疲れたところにコンビニを見つけ、カフェラテを買う。
飲みながら別の道を歩き家路につくが、これがなかったら腕を回しながら歩きたいところだと思う。慢性的な肩こりに悩まされてているのだ。しかし行きでは、荷物がなくても恥ずかしく、デューク更家ウォーキングはできなかったのだ。あれは気持ちよさそうだ。結局、普通の歩き方をする。
ぴかぴかの新築マンションのぴかぴかさは、どう住まいを組みたたていけばいいかわからない。賃貸でも、借りるときは内装は新しいので、別にそれと同じなはずだとは思うのだけれど、築数年と新築はまた違うな、と思う。
今流行の内装に合わせるとしたら、シンプルモダンなインテリアしか想像ができない。10年後、今の新築によくある内装は、私にとって馴染みあるものになるのだろうか。ただ、今どき内装の中でも、ナチュラル色ではなく、ダークブラウンに白の組み合わせは好きなので、安価な賃貸まで早く普及して欲しい。(でも先述した古い分譲賃貸の内装がそれだと興が削がれるという複雑心、妙なこだわりだ)
帰りも、普段通らない道を通り、好みのかわいらしいアパートメントをたくさん見つけてごきげんだった。明るい色合いの壁にレトロな名前。
生活を想像する。その想像の世界で私は子供か若者のことが多い。古いが清潔な洋室に、小さな自分の世界を作る子供。ヒトとモノを収める箱のなんと多様なことだろうと、誰もいない道をスキップする。
同じ家に長年住んだことがないので、長年住むとどういう変化があるのか、どう住まいに対する思いは変化するのか、そのようなことを考える。土地へ馴染むとはどういうことなのか、考える。
ああ、いつかは蔦の絡まった洋館に……
和室に置いたビーズクッションに転がってノートパソコンを広げているのが今現在の姿だが、それでも、ああなんて洋館は曇天に映えるのだろう、素晴らしい湿度なのだろうと、先ほど見た住宅群から作ったモザイクの家にうっとりするのはやめられない。

以上、アイドルセキララ日記である。
運動不足解消のため、このように意識的に散歩をしたりささやかな筋トレをしている。めざせ健康。
それではみなさん、よい一日を。