やほーー!! 前菜:お受験、社会学的想像力を添えて って覚えてる?

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私は忘れちゃったあ。
ということで復習も兼ねてブログを書いちゃうよ。どうしよほんと内容忘れちゃったよぉ。。。

ふう。日記だもんね!
えっと、私は先日、『お受験”の社会史―都市新中間層と私立小学校 』という本を読みました。
この本は〈お受験〉がメーンです❤

「お受験」と呼ばれお受験ブームが叫ばれたりなんなりしているけれども、かなり限られた人たちしか通っていない私立小学校。でも、私立小学校に通う人たちの中では、ここまで少数派な選択肢って思ってないんじゃないかしら。超少ないってデータは書いているから前回を参照してね。
中学受験は広範に言及されてるけど、小学受験はそうでもないよねってことで調べてみたのです。。

まず都市新中間層と、私立小学校の誕生のお話から❤
ほぼ東京のお話だからよろしくね❤

まず近代的教育、初等教育がっつり作るぞ―ってなったきっかけは、明治5年(1872)の学制から。政府は公立の初等教育学校をつくるためにがんばったよ。でもいっぱい作るにはお金足りない! 
私立の学校、私塾的なものは当時もあったけど、みんなできたてほやほやなの❤ 当時、まだ学歴、学校歴のすごさというか、特に私学の威力、まだぜんぜんないよね。だって、ぜーんぶできたて、ほやほやだもん❤ 
東京では、公立の小学校の代用として、私立の小学校が必要だった時期っていうのがあったらしいの。このとき(1880~1908年まで)は、まだ私立の小学校のほうが多かったんだよ。公立よりハイクオリティってわけじゃなくて、寺子屋的なものだったり、色々あったらしいの。でも、政府としては、がっちり近代教育を国民に受けさせたいってわけで、数は逆転するよ~!
(細かいデータはp37の表をみてね)

でね、公立小学校が増えました、じゃあオール公立かなて思いきや、新しいカタチの私立小学校ができるわけ。
「自発的結社」としての私立小学校 
ですって。

自発的結社とは!
①ある共有関心のために構成される
②成員になることが強制的でない
③国家から独立して成立する組織として定義される
(Sills,1968)

1910年以降に作られた、「少数派」である私立小学校は、「自発的結社」といえるんですって。
今も続いている、有名な私立小学校を思い出してみて。創立時、独自の理念や宗教的教育を掲げてない? 公立校の代用ではなく、公立校に変わる、別の形の素晴らしい初等教育を! という形で作られて(教育史の荒波にもまれながら)生き残っているわけね。(私学助成金とかない時代だよ~~!)

ふぬーん、前置きが長くなっちゃった。
私立小学校のなんとなくのイメージ、OK?

明治から……大正……この頃には、学歴が学歴としてびしっと価値を持つようになります。制度も充実してきたしね。
日本といえば立身出世主義! エリートルートの最終は、帝国大学! こつこつがっちりお勉強がんばって帝国大学行こうや! どんな出自でも勉強ができれば、世は博士か大臣か~~!? って感じをイメージしてね。
そういうガリ勉やなくって真の良質な教育を……!!
子どもは子どもらしく……(大正教育自由運動とかほら、『赤い鳥』て児童向け雑誌とかあるでしょ、あれね)あんなんイメージしてね。

というわけで、
ポイントとなる言葉は、
学歴主義 と 童心主義
このどちらも求めた都市新中間層が私立小学校を支えたのでは? ってことが書いてあったよ。

新中間層っていうのは、医者、教師、役人、お金持ちのサラリーマン。学歴があって、その学歴によってよいとこに勤めて、お給金を貰っているお家。
代々資産がすごくありますとか、貴族のお家ですとか、そういうのじゃないんだけど、庶民とはぜんぜん違う、ちょっといいとこってお家。新しい階層だよ。そういうお家は、学歴が前提となっているから、子供にも同じような、更によい地位についてほしいってことで、学歴主義なとこあるのね。
でも、厳しいガリ勉生活じゃなくて、豊かなこころとからだをやしなってほしいな、って思っている家もあったり。でも大学は出てほしいな、的なことは思ってたり。。
子どもの教育に対して新しい価値観を持ってたの。
新中間層の親のお仕事だと、子どもがそのまま受け継ぐわけにもいかないしね。

そんなわけで、戦前から、よい教育をするらしいって私立小学校が次々できて、人気になって、全員入れるわけにもいかないし、一部学校では選考せねば……ってなって、いよいよ気になる「お受験」が生まれ始めます。中等教育機関の入学選考は、部外者でもまあわかるよね。学力試験だもん。
でも、幼児をどうやって選ぶわけ……?
お受験黎明期のお受験の内容と、その対策は、私が知っている現代のお受験事情と似ています。変わらなすぎでびっくり……(中等教育機関の選考もそんな変わってないんだから当たり前だけど)

子供らしく自由に個性的に❤
でも、求められる子ども像はあるよ❤
明るくはきはき元気よく❤

そういうお受験を通った新中間層の子供たちは、他の階層の子どもとくらべて、そういう子ども像を身体化していた可能性があるって書いてあるけど、みんなはどう思う?
小学校受験が当たり前で育った子どもと、そうでない子ども、選考の有無、教育の内容だって違うなら……変わるのかしら、どうかしら。お受験教室の時点で何が身体に刻まれるのかしら。社会化のステップが独特ではあったと思う。入学者は、国立、私立合わせてもせいぜい全体に占める割合は数%であるので、独特という言葉を使って差し支えない……かな?

戦前期から1950年代までの、私立小学校とお受験についてたっぷりお勉強しました。
ほんのちょっぴりだけブログに書いてみたけど、本の感想のわりにはとっちらかっててごめんね。たくさん資料やデーターがあるから、気になる人はぜひこの本を読んでみてね。



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