深夜。舞台「浮標(ぶい)」を見た。

葛河思潮社
『浮標(ぶい)』
作=三好十郎 演出=長塚圭史
出演 田中哲司/藤谷美紀/大森南朋/佐藤直子/峯村リエ/江口のりこ/中村ゆり/安藤聖/深貝大輔/山本剛史/遠山悠介/長塚圭史

お願い!編集長というEテレの企画によって視聴者待望の舞台が再放送されていたのだ。
「芸術劇場」は、惜しくも地上波から無くなってしまった名物番組であり、話題の名舞台を偶然見ることができてラッキーだった。別番組を録画中だったので、リアルタイム視聴をするしかない。
これまた偶然にも、舞台鑑賞の緊張感を、少しだけ、テレビ越しに味わうことができた。


結核の妻を持つ芸術家の苦悩を描いた作品だ。


「戦時下の夏の終わり、千葉市郊外の海辺の家で、洋画家久我五郎は肺を患う妻の美緒を看病している。美緒を実の子のように世話をする小母さん、戦地へ向かう五郎の親友の源一郎、不動産相続に気を揉む実母など、病床の美緒のまわりをさまざまなひとが行きかうなか、美緒の病状も一向に快方にむかわず…。作者自身が「血みどろになってのたうちまわっている」作品と評し、生きることをみつめた私戯曲。」内容(「BOOK」データベースより)
三好十郎 II 浮標(ぶい) (ハヤカワ演劇文庫)/早川書房
¥886
Amazon.co.jp


田中哲司演じる五郎の「人間らしさ」、唯物論者で常に科学的思考、そんなインテリの彼の混乱と苦悩のさまに圧倒された。
結核は当時不治の病で、手をつくしたところで、残された時間が多少長くなるだけなのだ。

(結核もの、サナトリウム文学や結核文学というものについて知ったきっかけは、アニメ映画『風立ちぬ』。この作品も結核もの、といえよう。今の時代では(というか私が)中々想像できなかった結核の文化、文化史に関しては、適当な資料を当たってみてほしい。『風立ちぬ』ブームまで、私は知らなかったのだが……知らずとも「病」イメージの元になっている、と思った。)

五郎は、あくまでも、正しく、科学的な手法で妻を看護する。
ひたすらに、すこし乱暴に思えるほど真摯に。
しかし科学は妻を救わない。彼は乱心していく。
なぜだ? 彼は医者に問う。
医学は過渡期なのだ、科学は、過渡期なのだ、医者は言う。
過渡期だからなんだ、プロバビリティから外れたものはどうすればよいのか? 彼は医者に問う。
妻を救うためならどんなことでもすると五郎は言う。
医者の答えは真摯だ。
民間療法や迷信に対して、真摯に答える。
この五郎と医者の問答は見ものであった。

彼は馬鹿にしていた民間療法にすがるようになる。
死を待つしかない看護の苦しみ、妻への愛憎、圧倒された。

「圧倒された」と2回も言ってしまったが、中々他に表す言葉が見つからない。

私自身は、肉体的であるとか人間らしさであるとか、動物的に生きる(五郎は人間ひとりひとりが神になる、と言い換えていた)とか、確かな身体性こそ、という考え方はあまり好みではない。(低次こそ高次だ、みたいな、言語化している時点で、メタ発言って感じがして、気に食わないんだと思う)

それでも、五郎の「生」への渇望と「人間そのもの」への希求は、熱量を持ったまま、私の肚の中に留まり続けている。


追記

私が出演した番組も再放送投票中なので、興味があればぜひ投票お願い致します。
この衣装でした。


めざせ100Eね!

ニッポン戦後サブカルチャー史 第7回「80年代“おいしい生活”って何?

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