3月下旬、高校入学試験の合格発表の日が来た。ドキドキしながら、自転車をこいで発表場所へ向かった。 「落ちてたらどうしよう」と頭をよぎると 、「もう、決まっていることだから、何も考えるな」、「観念しろ!」と神様の声が聴こえた。不合格なら高校へ行かずに、百姓をすればいいんだ。父はそういって、長男のぼくを後継者にしたそうだった。その言葉を思い出しながら、発表の場所へ自転車を跳ばした。1960(S35).3のこと。

 発表の場所に着いたら、大勢来ていた。大喜びしているひと、うつむき加減のひと。ぼくはどちらだろう? 恐る恐る張り紙に近づいていく。張り紙をみつけるのに暇要ったが受験番号が見つかった。「うぉ やった」、と 思わず声が出かけたが、つばを飲み込み声を殺した。
もう一度受験番号を確かめて、それから、うなだれた様子で帰りかけたら、友達から声をかけられた。その友達も受かっていたのでよかった。

 早く帰って、家族に伝えると、喜んでもらえた。だが反面、「これから3年間、授業料がどれぐらい要るのだろう?」 かと、おかねのことを考えていた。

 そのためだけではなかろうが、「カンラン」の栽培を始めていた。カンラン(甘藍)とは「キャベツ」のことで田舎ではそう呼んでいた。早朝に収穫して福良の市場へ出荷したら、4回の出荷で2,010円の現金収入になった。その数日後に、高校の本代に2000円要ったとも、母の家計簿に載っていた。

 直径10cmぐらいと小さなキャベツを10個ぐらい、大きなカゴに入れて自転車の荷台に積んで父が運んだ。カゴ一杯で6貫とあるから22.5キログラムの重さである。初回の収穫は2月末で、1,200円になった。それが週が進む毎に 330円 300円 180円と値が下がってくる。気候が暖かくなって収穫量(供給)が増えたので値が下がったのだと、父が嘆いていた。
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 ↑ カンラン(甘藍)と呼んでいたキャベツ。
 写真は、スーパーに出ていた最近のもの。
2月~3月に採れる品種は玉が小さいと、最近気付いた。寒い田んぼの影響なのか、しもやけのように葉が紫色に染まっていて、見るからに痛々しい。

 父が出荷したものも、このように小さかった。結局、大した収入にならないこと分かり、その後は作らなかった。以来、乳牛1~2頭の飼育と、麦・葉煙草、玉ねぎ・稲に専念した。農閑期には土方で現金収入を増やしながら、ぼくら4人兄弟姉妹を育ててくれた。