飛行船602号-別館

飛行船602号-別館

回顧録は別館として独立しました。



ここは、別館です。




本館はこちら⇒ 

  • 飛行船602号





  • 廃墟館「るいんず」はこちら⇒ 
  • 飛行船602号 廃墟館




  • 鉄道館「鉄の部屋」はこちら⇒ 
  • 飛行船602号 鉄道館





  • 2022/02/12 ほぼ休止中だったブログですが、復活してみます。

    テーマを年代別にしました。。これに合わせた記事を書いていきます。






    Amebaでブログを始めよう!

    Twitterを見ていると、周期的に「エセ○○県民」というワードがトレンドに乗っかってくる。

    愛知県民の場合、必ず下の項目の画像が転載されている。

     

    当方、エセ愛知県民であるが、愛知に住んでる期間は35年以上、

    まぁまぁいい成績になるはずであるが・・

     

     

    1.クッピーラムネはこれを見るまでは全国区だと思っていた。

    2.さすがにスガキヤは全国区でないことは昔から理解している。

    3.を言う人は4.の人ぐらい?聞かないです。

    5.愛知で子育てをしたおかげでこれは分かるようになった。

       「この大放課って何?」

       「え?昼の休み時間。普通の放課より時間が長いから大放課。え?パパさん知らんの?」

       「しらん。じゃ放課後は?」

       「何それ?」

      小学校時代の息子と時間割を見ながら本当にあった親子の会話・・

    6.9.14.15.普通に聞き取れる。15.は自分も使う。

    7.これはね、これ見るまでは知らなかった。先ほどの親子の会話でも出てこなかった。

    8.これも愛知で子育てをしているのでわかる。さらにその昔の学校群という制度も知っている。

      たぶん友人のM(故人)はこの制度で行きたかった学校とは違うほうに行くことになったのではないかと想像している。

    10.この文化は分かるのだが、自分が誰かとここで待ち合わせたことはない。

    11.東海ラジオのCMの合間の蟹江アナの川柳みたいなセリフがすべてを教えてくれます。

       「チンチンの最上級はチンチコチン」

    12.そういうお店ですな。車は何回か借りたことある。

    13.都市伝説のようですが、うちの近所の中学が犯人だといううわさを聞いたことがある。

    16.時々行きまする。ほうれん草カレーにゆで卵トッピング。

    17.これは人による。最近の若い子は本当に車に興味がない。

    18.これはあれですな、のぞみの名古屋飛ばしを根にもってるからですかな。

       ♪さて私たち名古屋人が怒ったらよ、名古屋で新幹線を止めてまうでよ

       ですな。JR東海の本社は名古屋ですから。

    19.今住んでるマンションは、大いに気にして買った。阪神大震災の後だったので。

    20.先日三河の人に聞いたが、面倒くさいから名古屋のほう、いうことがあるそうだ。

    21.尾張に住んで三河で働いているので、とても理解できる。

       ちなみに仕事のお師さんはバリバリの三河のおっちゃんだった。なつかしい。

    22.タイガースファンなのだが、名古屋に住んで中日新聞を取っていると

       ドラゴンズの青いタオルがもらえるのよね。うちにも何枚かある。

       ちなみにダイエーがまだあったころ、ドラゴンズのホーム都市でタイガースファンの自分が

       上飯田のダイエーでホークスの優勝セールがあり嫁に連れていかれた、という経験をしている。

    23.24.擬態語だっけ、普通に理解できまする。

     

    以上、われながらだいぶん愛知県に染まっていると思われる。

     

    ただ愛知の言葉としては、こういう特徴のある単語よりも、

    アクセントとかイントネーションをいつの間にかマネしてる感がある。

    帆とが話している分は、最早何の違和感もないが、話すほうは習得しきれてないと思われ、

    地の関西弁と混じってどこの言葉か分からなくなっている感じ。

     

    コミック「ABフリャー」の一場面、東京からの新幹線に乗ってるおばちゃん連中の会話で

    「まあはい浜松だがね」

    思うに語源は、最早、もう(こんなに)早く、なのであろうが、それが、

    もうはやく → もうはや → まあはや → まあはい

    になったと思われる。

     

    シモシモ先輩によると、この言葉、フリーザ様のごとくもう一段階変身するらしい、それは、

    「みゃーひゃー」

    ・・・これは4.の人になってしまうなぁ、ご老人は使いそうだが(シモシモ先輩もご老人)

    ただ、この発音はよそ者には難易度が高い。「みゃー」のあとの「ひゃー」が

    「はぁー」になりがちでかつ驚いたような勢いで言ってはいけない。抑揚なく

    「みゃーひゃー」と言おうとすると「みゃーはぁー」になる。

    エセを発見するにはいい題材かも。

     

    NHKで7/4~7/21にかけて「星新一の不思議な不思議な短編ドラマ」を放送していた。

    BSではその前の4月から今も継続してやっている。

     

    小学校から20代前半ぐらいまで、かなりの星新一フリークだった。

    当時氏は、ショートショートを1000編書くとおっしゃっており、

    それなら1読者としてはそれを全部読ませていただきます、と思っていた。

     

    引っ越しを繰り返しため込んだ文庫本は売り飛ばしたりして残っていないが、

    ドラマは、何度も読んだストーリだったので、原作との違いや脚色がよく分かった。

     

    星さんがすごいと思うのは、1950,1960年代に書かれた作品が、現在劇にしても

    普通に違和感なく”不思議なドラマ”になっているところである。

     

    例えば「窓」。これはちょっと怖い話で、時々こういうストレートに怖い話が

    氏の作品にはある(直接的な攻撃をしてくる悪魔はゾッゾッゾッとします)。

    ドラマで主人公の女性はスマホでSNSを使いこなし姉と会話をしますが、

    原作は1950年代の作品で、当時はこんなものは無かったから

    原作の描写は違うのだが、このような脚本にしても違和感がない。

     

    「薄暗い星で 」はすごく好きな作品で、原作では真鍋博さんの挿絵が、

    いかにもブリキのロボットだったが、ドラマは、まぁ俳優さんが演じるので

    人型ロボットになるのは致し方ないが、それでもこれも1950年代に書かれた小説とは、

    知らない人は思わないだろうと思う。

     

    原作のあとがきも色々思い出深い。だいぶん忘れてしまったが、

    SF作家仲間の小松左京さんか、筒井康隆さんか、かんべむさしさんか、平井和正さん、

    だったとおもうが、2つほど印象に残る解説があった。

     

    ・ 読者は自分もショートショートをかけると勘違いする。

      星さんの小説はとても読みやすいので、読者は自分もこれぐらいなら書けるのではないか、

      と勘違いするが、いざ書こうとするとうまく書けない、というものである。

      これは自分も経験したことで、ショートショートを読んだ後、書きたくなるのだが

      うまく書けなかった。氏の表現はとても高度な代物だったのである。

    ・ 「雑学すごい」

      星さんの人となりを表現したもので、当時”雑学”という単語を知らなかったので、

      ”雑学”って何?と親に聞くと、クイズダービーのはらたいらさんだ、と答えが返ってきて

      なるほどと理解できた。はらさんも正解した後巨泉さんに何で知ってるの?と聞かれ

      週刊誌に出てた、とか新聞で読んだ、と答えてたことが多かったが、よく勉強していたのだと思う。

      雑学って人間が厚くなるようで、それから「雑学すごい」を目指したが、自分は

      マニアックなことを局所的に詳しくなるだけでその域には行けなかったようだ。

     

    個人的には、「声の網」とか「ノックの音が」をオムニバス風のドラマでやってくれないかなぁ

    と以前より思っている。ちょうど1クールでまとまりそうなんだが。

     

    久々に朝ドラに熱中している。

    「カムカムエブリバディ」。

     
    朝ドラ自体を一所懸命見るのは、何年かに1回あるかどうかなので、
    通常は、会社の駐車場に着いてから車の中で、とか土曜日に総集編を
    ちら見するとかの程度。
     
    広瀬すず主演の「なつぞら」もそんなに一所懸命には見ていなかったが、
    気になるシーンがあった。
     
    このドラマはモデルがいて、アニメーションのクリエータさんで、
    「母をたずねて三千里」とかを手掛けた人で、
    当時子供であった私達の世代はもろにお世話になっている。
     
    さて劇中の一場面。おそらく昭和40年代前半と思われる。
    若夫婦の家の居間のシーン。
    広瀬すずの背後にちらちら見えているのが台所の、
     
    「ジュ-サー・ミキサー」
     
    うーん、ちょっと時代考証おかしくない?
    当時の若夫婦が持つかね?
     
    特にミキサーには思い入れがあって、
    当時、お父さんが休みの日に、しかも気まぐれで、
    という低確率で行くことができた喫茶店。
    その喫茶店で店のマスターがカウンタに置かれたミキサーで
    ぎゅーん、と材料を回して作られるミックスジュースなんてのは
    超贅沢な飲み物でありまして、ミキサーは夢の調理器だったわけだ。
     
    昭和40年代にナショナルとか東芝から家庭用の
    「ジューサー・ミキサー」が販売され、ある年、母方のおばあちゃんが
    「ジューサ―・ミキサー」を買った。当時の子供の目から見ると
    おばあゃん家はうちよりお金持ちで、母なんぞも「ええなぁ、便利?使える?
    私も買おうかな」と言ってるのだが、結局買ったのは値段もこなれたはるか
    あとの事だった。
     
    なので、このシーンを見ると、若夫婦が買う家電としては
    かなり優先順位が低いように思うのだが、
     
     ・ スタッフが時代考証をしくじっている。
     ・ うちがやっぱりかなり貧乏だった。
     ・ 東京は地方より進んでいて各家庭持っていた。
     ・ 広瀬すずがヘルシーオタク。
     
    のどれかでしょう、きっと。
     
    ちなみに調べてみると、家電の普及率の統計がネットではでてきます。
    1971年当時の「ジューサ・ミキサー」の普及率は30%そこそこだった。
    なんだ、やっぱり時代考証をしくじってるんじゃないのぉ。
     

    久々に朝ドラに熱中している。

    「カムカムエブリバディ」。

     

    安子、るい編は時代が古いのだがひなた編はひなたが

    自分より2つ下、という年齢設定なので、劇中にいろいろ

    目につくものが出てくる。

     

    (1)ラジオから聞こえてくる浜村淳

       これはるい編からであるが、もうこっち来てから全然聞いてないが、

       浜村淳さん、お元気そうで。今でも関西ではラジオで聞けるのでしょうね。

     

    (2)大月家の物置

       オダギリジョー演じるお父ちゃん、大月錠一郎はほんまええお父ちゃん。

       ああいう父になってみたいもんだ、と思いながら見ている。

     

       子供たちがけんかを始めて険悪になったところで、病気で吹けなくなった

       トランペットを持ち出し「お父ちゃん、昔トランぺッターやったんや」

       「何が言いたいかというと、それでも人生は流れていく、ということ」

       と子供を諭します。

     

       物置でトランペットを磨きながら、るいと話をし、

       「トランペットが僕にさよならを言うてる」とつぶやくシーンは

       泣かせる場面なのですが・・・・・

     

       錠一郎の背後にちらちら見える「ウルトラマシン」の段ボール箱。

       これなぁ、持ってました!! バッティングセンターのマシンをそのまま

       おもちゃにした代物だが、羽に角度がつけられてカーブやシュートを

       投げることができる優れものだった。

     

    (3)聖飢魔Ⅱネタ

       電化製品には必ず聖飢魔Ⅱネタが仕込まれている。

       ラジオのメーカが「Fire after」とか、「Fire after fire」って曲があるのよ。

     

    続く。

    鉄オタ目線で「鉄道の部屋」で小学校の時の修学旅行列車の事を

    書いている最中に世界がなんかキナ臭くなってきた。

     

    で、ふと思い出したことがあって、小学校の修学旅行は

    ひたすら鈍行客車列車で伊勢に向かうのだが、初日の昼ご飯は

    弁当持参で車内で食べることになっていた。

     

    お昼になって弁当を広げると母のメモが入っていて、

    「母の分まで楽しんでいらっしゃい」

    と書かれていた。

     

    メモに真意については、出発前に話していたのか、

    帰ってきてから「あのメモ何?」と聞いたのか、

    記憶があいまいであるが、母の話によると

    母は修学旅行には行っていないから、ということであった。

     

    そうなんです、この世代の人たちの十代のころは、

    戦争で修学旅行などというものに現を抜かしてはいけない、

    という世情だったので、修学旅行には行けてないわけ。

     

    修学旅行自体は明治の時代からあったようだが、

    色々試行錯誤があったようで、県単位で

      「旅行など教育と関係ない、けしからん!」 とか、

      「女子は泊不可、男子は1泊のみ許す」 とか

    一方で

      「世界に見聞を広めるべき」

    と海外に旅行を敢行した学校なんかもあったようで。

     

    僕らは戦争は知らないが、身内には戦争経験者がいる世代だと

    ふと思い出したので記事にしておく。