こんにちは。福井のお菓子屋西勘堂西畑雄介です。
今日は【番外編】選挙は消去法でいいについてお話しします。
本題に入る前にお知らせをさせて下さい。
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‥では本題です。
「選挙に行こう!」とか、「一票を投じよう!」なんて声が飛び交う季節がやってくるたびに、僕らの頭の中にはいつも同じ問いが渦巻く。「誰に投票すればいいんだ?」
理想の候補者なんて、白馬に乗った王子様と同じくらい、現実にはなかなか現れない。
政策の全てに賛同できて、人間性も申し分なくて、将来のビジョンも完璧……なんて人は、はっきり言って幻想だ。
だからこそ、多くの人が「どうせ誰に投票しても同じだ」とか、「選びようがない」なんて諦めにも似た感情を抱く。
でも、ちょっと待ってほしい。本当にそうだろうか?
完璧を求めすぎた先にある「無関心」という名の敗北
僕らはとかく、「最高の選択」をしたがる。レストランに行けば最高の料理を、旅行に行けば最高の宿を、そして選挙になれば最高の候補者を求めてしまう。
しかし、この「最高」を追い求める姿勢が、時に僕らを思考停止に陥らせる。
「最高の候補者がいないなら、投票する意味がない」
そう考えてしまうと、僕らの選択肢は「投票しない」という、最も不本意なものになってしまう。そして、その「無関心」こそが、僕らが変えたいと願う現状を固定化させる一番の要因だ。
「消去法」は「現状維持」ではない、むしろ「より良い未来」への一歩
そこで、僕が提案したいのが「消去法」という名の積極的な選択だ。
「消去法なんて、妥協じゃないか?」
そう思う人もいるだろう。確かに、理想の候補者を選ぶわけではない。
しかし、考えてみてほしい。消去法で選ぶということは、「これは絶対に嫌だ」「この政策だけは容認できない」「この人の言動は信頼できない」という明確な基準を持って、選択肢を絞り込んでいく作業だ。
これは、決して後ろ向きな選択ではない。むしろ、目の前にある「最悪の事態」を回避し、「現状よりはマシ」な未来を選ぶための、極めて現実的で、かつ賢明な判断だと言える。
たとえば、目の前にA、B、Cという候補者がいるとする。
* Aは政策は良いが、人間性に疑問がある。
* Bは実績はあるが、特定の政策がどうしても許せない。
* Cは全てにおいて及第点だが、突出した魅力がない。
この時、「Cなんて魅力がないから投票しない」というのは、Bの「許せない政策」が通ってしまう可能性を自ら高めていることになる。
それよりも、「AとBは嫌だから、Cにしよう」という消去法は、あなたが本当に避けたい事態を遠ざけ、許容できる範囲の中で「より良い」方を選ぶ、能動的なアクションなのだ。
「完璧な一票」より「有効な一票」を
僕らの社会は、完璧な人間によって動いているわけではない。完璧な政治家も、完璧な政策も存在しない。だからこそ、僕らは「完璧な一票」を追い求めるのではなく、「有効な一票」を投じるべきなのだ。
「消去法」で選ぶ一票は、決して恥ずべきものではない。それは、「この社会を、少しでも良い方向に動かしたい」という、あなたの強い意志の表れだ。
完璧な理想を追い求めるあまり、何も選ばないという選択をするくらいなら、不完全な選択肢の中から、現状を少しでも改善できる可能性のあるものを選ぶ。
それこそが、僕らが今できる、最も建設的な行動ではないだろうか。
考えても見て欲しい。人付き合いでも「何もかも全てが完璧!」という人はいないでしょう。
自分の家族でもいっぱい良いところがある。けど良くない部分もある。
それでもいいとこ悪いとこ差っ引いて好きが上回っているから一緒にいるのではないでしょうか。
僕は政治についてもその候補者のいろいろ差し引いて最終何が残るのかを考えて投票します。
最悪ダメだったら次の時に違う人に変わればいいとこ思っています。
選挙は、僕らの未来を決める大切な機会だ。完璧な選択ができないからといって、その機会を手放すのはあまりにももったいない。
さあ、あなたの「これはないな」という基準で、未来の選択肢を絞り込んでみよう。
その一票が、きっとこの社会を、ほんの少しだけでも、良い方向へと導いてくれるはずだから。