日本では
宗教はタブーやと感じる

それは過去に
宗教がらみの色んな事件があって
みんなその印象が強くて

宗教=勧誘
マルチ商法なイメージ持ってて
洗脳されるみたいな

ちょっと前の自分もそうやった
けど


仏教もキリスト教もヒンドゥー教も同じ

人が何か(誰か)を信じて
自分の支え、指標、軸にして
心の安定を得る

そうすると
その心のゆとりは自然と
自分の周りの人のことを
考えれるようにさせてくれる

人のために何かしたい
て思うようになれる

それが結局は
平和につながり
みんなが幸せになれる


どれも言ってることは
一緒なんです

だから
争う必要なんてないのに

何が真実か
でなく
何を信じるか
だけの違いなのにね

どれも真実でしょきっと



特に仏教では
先祖供養
が大切なキーワードで

今の自分が在るのは
ご先祖様たちのおかげ
という考え方

逆に今の自分のバックには
色んな先祖の人たちがついてて
いつも見守ってくれてる

だから自分は1人ぢゃない


時々感じるのは
自分は今を生きる代表で
たすきを掛けて
走る義務を背負ってる

今までの道を
無駄にしないためにも
次にしっかり
つなぐためにも
しっかり胸はって生きないと



こういう思考を受け入れるのに
7、8年はかかったけど
受け入れられたことや
無事に精進できてることが
すごいことで
ものすごく感謝すること

道があるという安心感で
この先も
生きてける気がします



ということで
自分に今できること
しっかりやっていきます


やっぱ学生の本業
学業がんばりますクローバー
毎朝
肩の鳥に聞く

『私が死ぬのは今日か?』

yesと言われたその24時間は
大切なことを後回しにはしない

明日がある保障はない
悔いを残さないように


これが
ブッダの生きるコツ


得るもんが多い話でした
モリー先生
ずっと居心地いいとこにいたい
人間の本能


けどそれは
堕落につながる?
成長を止める?



苦労を通して
人は成長するなら

居心地のいいとこにいたい
とか
幸せになりたい
てゆうのは
相反するものなんでしょうか


成長するために
あえて苦を選ぶのは
すばらしいことだけど

居心地の良さを見つけたとして
そこに居ることを選ぶてゆぅのは

怠け者?
負け組?
もったいない?
自分の成長そこで終わり?


何かしらの
次のStepを見出だして
進むしかないのでしょうか



人は成長しなければいけないのか


生まれる段階のプログラムで
自分に課せられる試練を
自分で選んで設定する
それを順にこなして生きてく


だから
試練が来ないのは
自分がそう設定したから

試練だらけなのも
自分がそう設定したから


その目的は
人の温かさを知るため
とか
人生の厳しさを知るため
とか
自分探しを助けるため
とか


色々あるんやろけど
知る由はない
答は分かんない

てか答はなくて
自分で作っていい


全部正解


こんなことを考える
今日この頃

最後に会えてよかった



新生活
いよいよStartです