ここぞとばかりに共存共栄を謳ったコンピュータとタッグを組んだ大型棋戦も、『まるで主役がコンピュータで人間がオペレーター』といった評判の悪さから白紙状態に戻り、次なる一手に苦慮しているのが実情であろう。
そこで5vs5形式を最後と考えた場合、それに匹敵するか、それ以上の誰もがわくわくするような形式をドワンゴ社に勝手に提案したい。
①棋士、コンピュータソフトが混在する非公式トーナメント棋戦を新しく立ち上げる。
②出場棋士はタイトルホルダー以外の全棋士が予選から戦うこととし、本選では電王トーナメントを勝ち抜いた5つのコンピュータソフトとで優勝を競い合う。但しタイトルホルダーも出場の意志があれば本選から参加は可能とする。
③決勝戦は3番勝負とし、先に2勝した方が優勝となる。優勝したものには電王という称号を1年名乗ることが出来、次年度は予選を免除され本選から出場可能となる。
④持ち時間はお互い5時間のチェスクロック形式で持ち時間が無くなった場合は一手60秒の秒読みとなる。
⑤コンピュータソフトの貸出は禁止とし、ソフトの改変は対局の2週間前までとする。使用するコンピュータハードはこちらより指定する。
⑥floodgateでの他のソフトとの対戦棋譜を最低30局は用意して、1週間前までにコンピュータソフト開発者は対戦相手に配布する
⑦コンピュータの代指しはお馴染み“電王手さん”。
⑧2年毎に存続の可否を判断する。
いかがだろうか。ハード面に制限がかかる部分は棋譜との整合性から致し方無いが兎に角これで研究によるなぞり勝ちだの発表会だのといった批判は完全に封じ込められる。そして何より一番見たかったガチンコ勝負が復活する。団体戦であるが故に内容よりも勝利が優先されて、嵌め手や穴を狙う理由が出てきてしまったが個人戦で勝ち上がり方式だとそれも無くなる (アンチコンピュータ戦略を好んで採用したければ仕方ないが)。但し、進行が進むにつれてコンピュータソフトだらけになるという危険性は常にあるが、人間はそもそも挑戦者だという視点に立てばそのようなことも十分あり得ると想定していれば違和感は薄れるのではないだろうか。
またやはり棋士には仮面ライダーのように常に孤独感を身に纏って、たった一人で強靭な敵と対峙してほしいし、それが棋士の棋士たる由縁であり、矜持でありプライドでもあるはずだ。
コンピュータとの共存共栄とはコンピュータ片手に対局に挑むのではなく、コンピュータにできないことをはっきり線引きさせ人間の存在価値を最大限に際立たせることではないだろうか。例えばコンピュータは過去からのデータを分析して未来を弾き出す。人間は過去の経験を考慮しつつも、戦略的かつ一貫性をもち、時には柔軟性に富んだアイデアで未来をその一秒前まで描く。このような捉え方も出来るのではないだろうか。
この先人工知能が持て囃される時代がきっと到来するが、人工知能はどう頑張っても人工知能を越えられない、つまり想像力や発想力、直感などといった人間の知能を越えられない。そんな聖域が存在するんだという未来が必ず待っているならば我々は勇気を持って突き進んでいける。そんな気がしてならない。