幻想水滸伝
光の扉 
 
 
 
 
「よう、具合はどうだ?」
 病室の扉を豪快に開け、ズカズカと遠慮なく近付いて来た彼に、僕は大袈裟なくらい盛大に溜息を吐いてやった。
「今度はビクトールか。ご苦労なことだね」
「なんの話だ?」
 こちらの皮肉が分かっているくせに、素知らぬ顔で肩を竦めるのだからタチが悪い。
「交代で見張りに来なくても、僕は逃げも隠れもしないって話」
「病み上がりで無断外出した人間が言っても、説得力は皆無だな」
「それはまぁ………悪かったけど」
 城に帰るなり病室へと強制連行されたのが数時間前。
 挙げ句の果てに熱がぶり返した身としては、悔しいことにそれ以上何も言い返せなかった。
「お前がいなくなって大変だったんだぞ。カナタは軍主命令で捜索隊を出そうとするし、フリックは動転してゴミ箱ん中まで探してやがるし、俺なんかビッキーにお前を見てねぇか聞いた途端、湖に吹っ飛ばされたんだ」
「あははっ」
「笑い事じゃねぇよ……」
 ビクトールが備え付けの椅子に座って、がっくりと項垂れる。
「でも、まだ城の湖でよかったじゃない。これがハイランドだったら笑い事じゃ済まないよ」
「あのなぁ、いったい誰のせいだと思って――」
「ビッキーの失敗癖にも困ったものだね」
「お前の放浪癖の方が困りもんだっ!」
 いつものように軽口を言い合って、いつものように居心地の良い沈黙が流れる。
 ふと窓の外を眺めると、子供たちが大きな水溜まりで楽しそうに遊んでいるのが見えて。
 その無邪気な姿に、思わず笑みを零した時だった。
「…なぁ」
「何?」
「お前、まだ雨が嫌いなのか?」
「!」
 完全に、不意を突かれた。
 思わずビクトールに顔を向けると、瞬きもせずにこちらを見つめる視線とかち合う。
 その何もかも見透かしたような瞳に、あぁ逃げられないな、と僕は大人しく観念した。
「………好き、ではないよ。あの夜のことを、嫌でも思い出すからね」
「そうか……」
 軽く俯いて独白のように淡々と呟くと、ビクトールは少しだけ複雑そうに目を伏せた。
「でも……」
「ん?」
「………嫌な思い出ばかりじゃ、ないんだ」
 夢見るように、目を閉じる。
 脳裏を過ぎるのは、光のように優しい数多の情景。
「テッドと一緒に釣りに行って、突然降り出した雨に大慌てで木陰に隠れて雨宿りしたり―――」

『お前が珍しく大物なんか釣るから降ってきちまったんだ!』
『なんだよそれ!自分はゴミばっか釣ってたくせに!』
『おぅ悪いかっ。環境に優しくて結構だろ。今日からは環境大使テッド様と呼んでもらおうか!』
『……プッ。あはははっ!テッドが大使だなんて、雨どころか槍が降るよっ』
『あ、言ったなー!』

「雨で棒術の稽古が中止になって、大喜びでテッドの家に遊びに行ったり―――」

『テッド!』
『お前っ、びしょ濡れじゃねぇか!』
『あ、うん。でも走ってきたから大丈夫だよ』
『ちっとも大丈夫じゃねぇっての!ほらっ、早くこっち来い!』
『わわっ、頭くらい自分で拭けるってば』
『いいから大人しくしてろ!』

「雨上がりの虹を見て、二人で一緒にはしゃいだり―――」

『テッド、見て見て!』
『ん?』
『ほら、水溜まりに虹が映ってる』
『うぉーほんとだ』
『綺麗だね』
『あぁ。いいもん見たな』
『これなら雨が降るのも悪くないかも』
『だろ~?』

「―――…そんな風に、楽しい思い出もあったんだってこと、忘れてたよ」
「…そうか」
 ビクトールのそれは、さっきと同じ言葉だったけど、でも今度はどこか嬉しそうに頷いて。
 丸太のように太くて大きな手が、わしゃわしゃと頭を撫でてくる。
「……ビクトールってさ」
「?」
「僕の頭撫でるの、好きだよね」
「嫌か?」
「嫌じゃないけど………子供扱いされてるみたいで、なんか複雑」
「何言ってんだ。俺にしてみりゃ、お前なんてまだまだ子供だっつの」
「…それはそうだけど」
「お前はまだ子供でいいんだ。悩んだり、泣いたり、我が儘言ったりする子供でいいんだよ」
「………」
 ぶっきらぼうにそう言う彼の優しさが、痛いほどに伝わってきて。
 ここには僕を甘やかす人が多くて困るな、なんて、内心で小さく苦笑する。
「………ビクトール」
「あん?」
「ありがとう」
「なんだよ、改まって」
「別に。ただなんとなく、言いたくなっただけ」
 慰めるわけでも、励ますわけでも、ましてや同情するわけでもない。
 ただ黙ってそばにいて、話を聞いてくれるだけ。
 でも、下手な慰めをくれるより、その方が僕にとってはずっといい。
「そういえば」
 しばらくして、ビクトールが思い出したように首を捻った。
「何?」
「あの花、どうしたんだ?」
 僕の視界を横切って、無骨な指が窓辺を示す。
 そこにあったのは、小さな鉢に植えられた一輪の福寿草。僕がホウアン医師に頼んで飾らせてもらったものだ。
 陽の光を浴びて金色に輝くそれは、誰かの笑顔を彷彿とさせて。
 僕は眩しいものを見るように、目を細めて笑った。

「大切な………僕の宝物だよ」

 ねぇ、テッド。
 晴れの日も、雨の日も、雪の日も。
 目を閉じれば、蘇るのは君との思い出ばかりだ。
 それはいつだって、僕の中で光のようにキラキラ輝いていたのに。
 僕はその美しさを見ようとせずに、長い間、一人で暗い檻の中で閉じこもっていたんだ。
 今はまだ、雨を好きにはなれないけど。
 でも、そろそろ踏み出したいと思う。かつて君と過ごした、檻の外の世界へ。
 楽しかった君との日々が。大好きだった君の笑顔が。
 雨と共に、流れてしまわないように…―――――。
 
 
 
 
END