幻想水滸伝
懺悔
「パーン、入るよ」
「…ぼ、坊ちゃん!?」
「薬を持ってきたんだけど……起きられる?」
ノックの返事を待たずして部屋に入ってきたのは、この屋敷の若き主――ユリウスだ。
彼は薬と水差しが乗った盆をベッド脇のラックに置くと、体を起こそうとするパーンに手を貸した。
「すみません。坊ちゃんにこんなこと……」
「いいんだよ。気にしないで」
「グレミオはどうしたんですか?」
普段から自分たちの世話をしてくれている青年の姿が見えないことに首を傾けると、水を洋盃に注ぎながらユリウスが答える。
「買い物。パーンは僕が見てるって言ったら、『お礼に今夜はいつもの100倍美味しいシチューを作りますから!』って、張り切りながら出かけたよ」
「…そう、ですか」
本来であれば、主であるこの少年に病人の看護などさせるわけにはいかないのだが。もう一人の同居人であるクレオも、今頃は兵の武術指南に行っている時分だろう。
自分の腑甲斐なさに、溜息が出る。
しかし当のユリウスはさして気にした様子もなく、水がなみなみと注がれた洋盃をパーンに手渡した。
「パーンは頑張りすぎなんだ。たまにはこうしてゆっくり休むことも大事だよ」
「………」
穏やかなその微笑みに、ちくりと胸が痛んだ。
思わず顔を逸らすように俯くと、心配そうに彼が覗き込んでくる。
「どうしたの? 薬、飲めない?」
「………俺は、できる限りのことをしたいんです」
「え?」
「坊ちゃんが創り上げたこのトランを、もっといい国にしていくために………そのために、俺は死力を尽くさなければならない」
手にした洋盃を強く握り締める。
そこに広がる小さな波紋を眺めながら、パーンはその先に続く言葉を飲み込むように唇を結んでから、すぐにまた口を開いた。
「…ぼ、坊ちゃん!?」
「薬を持ってきたんだけど……起きられる?」
ノックの返事を待たずして部屋に入ってきたのは、この屋敷の若き主――ユリウスだ。
彼は薬と水差しが乗った盆をベッド脇のラックに置くと、体を起こそうとするパーンに手を貸した。
「すみません。坊ちゃんにこんなこと……」
「いいんだよ。気にしないで」
「グレミオはどうしたんですか?」
普段から自分たちの世話をしてくれている青年の姿が見えないことに首を傾けると、水を洋盃に注ぎながらユリウスが答える。
「買い物。パーンは僕が見てるって言ったら、『お礼に今夜はいつもの100倍美味しいシチューを作りますから!』って、張り切りながら出かけたよ」
「…そう、ですか」
本来であれば、主であるこの少年に病人の看護などさせるわけにはいかないのだが。もう一人の同居人であるクレオも、今頃は兵の武術指南に行っている時分だろう。
自分の腑甲斐なさに、溜息が出る。
しかし当のユリウスはさして気にした様子もなく、水がなみなみと注がれた洋盃をパーンに手渡した。
「パーンは頑張りすぎなんだ。たまにはこうしてゆっくり休むことも大事だよ」
「………」
穏やかなその微笑みに、ちくりと胸が痛んだ。
思わず顔を逸らすように俯くと、心配そうに彼が覗き込んでくる。
「どうしたの? 薬、飲めない?」
「………俺は、できる限りのことをしたいんです」
「え?」
「坊ちゃんが創り上げたこのトランを、もっといい国にしていくために………そのために、俺は死力を尽くさなければならない」
手にした洋盃を強く握り締める。
そこに広がる小さな波紋を眺めながら、パーンはその先に続く言葉を飲み込むように唇を結んでから、すぐにまた口を開いた。
「………それが、坊ちゃんとテッド君を裏切った俺ができる……唯一の償いだと思っています」
その瞬間、ユリウスが微かに息を呑んだのが分かった。
目の前の水面に映るのは、嵐にも似た雨の夜。帝国の役人を連れてきた自分を見た時の、絶望したような彼の顔が目に焼き付いている。
あの時の自分は、彼の父親への忠義を守ることにただただ必死で。本当に大切にしなければいけないことは何か、完全に見失っていた。
「……三年前から、何度も考えていました」
あの時の自分は、彼の父親への忠義を守ることにただただ必死で。本当に大切にしなければいけないことは何か、完全に見失っていた。
「……三年前から、何度も考えていました」
何度悔やんでも、消えることのなかった後悔。いくら赦されても、自分で許すことのできなかった過ち。
「あの時………もし俺が密告しなければ、テッド君は捕まらなかったかもしれない。そうすれば、坊ちゃんは帝国に追われずに済んだし、テオ様とも戦わず、テッド君だって――」
「パーン」
「―…ッ!」
刹那、彼の纏う空気が一変した。
凛とした面差しに加え、どこまでも深い漆黒の瞳が、見る者すべてを戦慄かせる。圧倒的な覇気をその身から溢れさせ、他者を惹き付け平伏させる、王者にも似た存在感。
「パーン」
「―…ッ!」
刹那、彼の纏う空気が一変した。
凛とした面差しに加え、どこまでも深い漆黒の瞳が、見る者すべてを戦慄かせる。圧倒的な覇気をその身から溢れさせ、他者を惹き付け平伏させる、王者にも似た存在感。
そこにいたのは、かつて解放軍を率いた英雄に他ならなかった。
「お前は、三年前に私が歩んだ道が、お前の行動一つによって左右されうるものだったと、そう言うのか?」
淡々とした声。
ぴんと張り詰めた空気は、緊迫ではなく重圧だ。
「私が選び取ってきた数多の選択が、『もし』などという半端な言葉一つで無に帰してしまうような、そんな脆く小さなものだったと、そう言うのか!」
冷静さを失わないまま激昂した声音は、白刃の如く研ぎ澄まされていて。
もはや息をするのも困難だった。
淡々とした声。
ぴんと張り詰めた空気は、緊迫ではなく重圧だ。
「私が選び取ってきた数多の選択が、『もし』などという半端な言葉一つで無に帰してしまうような、そんな脆く小さなものだったと、そう言うのか!」
冷静さを失わないまま激昂した声音は、白刃の如く研ぎ澄まされていて。
もはや息をするのも困難だった。
「私を見くびるなよ、パーン」
静かに紡がれる言葉とは裏腹に、内包するのは明らかな怒り。
「仮定の話など、意味がない。お前の言っていることは、私だけじゃない、父やテッド、そして死んでいった者たちに対する侮辱だ」
彼から放たれた殺意をも超越する絶対的な闇に、身が竦む。侵してはならぬ逆鱗に触れてしまったのだと、パーンは自らの愚かさを呪った。
「仮定の話など、意味がない。お前の言っていることは、私だけじゃない、父やテッド、そして死んでいった者たちに対する侮辱だ」
彼から放たれた殺意をも超越する絶対的な闇に、身が竦む。侵してはならぬ逆鱗に触れてしまったのだと、パーンは自らの愚かさを呪った。
「………僕はね、パーン」
ふっと拡散した呪縛。
ユリウスはパーンから視線を外し、伏し目がちに窓の外を眺めた。
「あの時、君の行動に傷つかなかったと言ったら嘘になる」
「はい」
「君が僕たちを裏切ったことは悲しかったし、信じたくなかった」
「はい」
ユリウスの言葉を、パーンは頭を垂れながら一つ一つ受け入れた。まるで罪状を挙げられる罪人のように、裁きの時を待つ。
ユリウスはパーンから視線を外し、伏し目がちに窓の外を眺めた。
「あの時、君の行動に傷つかなかったと言ったら嘘になる」
「はい」
「君が僕たちを裏切ったことは悲しかったし、信じたくなかった」
「はい」
ユリウスの言葉を、パーンは頭を垂れながら一つ一つ受け入れた。まるで罪状を挙げられる罪人のように、裁きの時を待つ。
「だけど、君を恨んだことは一度だってない」
「はい…―――って………え?」
予想もしていなかった科白に、パーンは目を丸くさせて顔を上げた。
すると、見惚れるほどに綺麗な笑顔が目の前にあって。それは、切ないくらいに優しかった。
「確かに、テッドは僕にとって大切な存在だよ。それこそ、他の何とも比べようがないくらいに。だけどパーンだって、僕にとっては大切な家族なんだ。父さんやグレミオ、クレオたちと同じようにね」
「…!」
「だから、コウアンで戻ってきてくれた時は、すごく嬉しかったんだ。これは嘘じゃないよ」
「っ、坊ちゃん…!」
「それに、パーンが取った行動は軍人として褒められこそすれ、責められるものではないはずだ」
「しかしっ!俺は…っ!」
「あの時パーンが知らせなくても、テッドの居場所はすぐにバレていたよ。あいつが逃げ込めるところなんて、ここの他には無いのだから」
「っ…」
ユリウスに責める様子は見られなかったが、テッドの唯一の逃げ場所を奪ってしまったという事実に、パーンの心臓は杭を打ち付けられたようだった。
そんな彼に構わず、ユリウスが紋章の宿る右手に、愛おしそうに口付ける。
「僕はといえば、テッドからソウルイーターを受け取った後だった。だからどのみち、帝国からは追われていただろうね。いや、下手をすれば捕まって処刑されていたかもしれない」
「………」
口元に浮かんだ笑みは、自嘲か、諦めか。
パーンは複雑な気持ちで眉根を寄せた。
「…ね?分かっただろう。仮定の話をしたところで、意味なんて無いんだよ。この世のすべての出来事は、そんなに単純じゃない。数限りなくある道が複雑に混じり合って、ようやく紡がれていく ものなのだから」
「はい…―――って………え?」
予想もしていなかった科白に、パーンは目を丸くさせて顔を上げた。
すると、見惚れるほどに綺麗な笑顔が目の前にあって。それは、切ないくらいに優しかった。
「確かに、テッドは僕にとって大切な存在だよ。それこそ、他の何とも比べようがないくらいに。だけどパーンだって、僕にとっては大切な家族なんだ。父さんやグレミオ、クレオたちと同じようにね」
「…!」
「だから、コウアンで戻ってきてくれた時は、すごく嬉しかったんだ。これは嘘じゃないよ」
「っ、坊ちゃん…!」
「それに、パーンが取った行動は軍人として褒められこそすれ、責められるものではないはずだ」
「しかしっ!俺は…っ!」
「あの時パーンが知らせなくても、テッドの居場所はすぐにバレていたよ。あいつが逃げ込めるところなんて、ここの他には無いのだから」
「っ…」
ユリウスに責める様子は見られなかったが、テッドの唯一の逃げ場所を奪ってしまったという事実に、パーンの心臓は杭を打ち付けられたようだった。
そんな彼に構わず、ユリウスが紋章の宿る右手に、愛おしそうに口付ける。
「僕はといえば、テッドからソウルイーターを受け取った後だった。だからどのみち、帝国からは追われていただろうね。いや、下手をすれば捕まって処刑されていたかもしれない」
「………」
口元に浮かんだ笑みは、自嘲か、諦めか。
パーンは複雑な気持ちで眉根を寄せた。
「…ね?分かっただろう。仮定の話をしたところで、意味なんて無いんだよ。この世のすべての出来事は、そんなに単純じゃない。数限りなくある道が複雑に混じり合って、ようやく紡がれていく ものなのだから」
『運命』という言葉がある。
ユリウスは、かつてそれを信じないと言った。自ら選び、自ら歩む道が、人智を越えた何かによって予め定められているなどと、冗談ではないと。
ユリウスは、かつてそれを信じないと言った。自ら選び、自ら歩む道が、人智を越えた何かによって予め定められているなどと、冗談ではないと。
「………それでも」
「うん」
「…俺は貴方にまだ何も………何も…っ、言っていない」
コウアンで合流した時も、テオと戦った時も、テッドが死んだ時も、……今も。
これは自分や、父や、テッドが、それぞれの信念で選び取った道だと言って、ユリウスがパーンを責めることはなかった。
―――けれど。
「謝ってどうなるものでもないと……そんなこと、自分がよく分かっています。それでも…っ!」
「うん」
まるで先を促すように、慈愛溢れる微笑みが向けられる。
パーンは喉が震え、目の奥が熱くなった。
「うん」
「…俺は貴方にまだ何も………何も…っ、言っていない」
コウアンで合流した時も、テオと戦った時も、テッドが死んだ時も、……今も。
これは自分や、父や、テッドが、それぞれの信念で選び取った道だと言って、ユリウスがパーンを責めることはなかった。
―――けれど。
「謝ってどうなるものでもないと……そんなこと、自分がよく分かっています。それでも…っ!」
「うん」
まるで先を促すように、慈愛溢れる微笑みが向けられる。
パーンは喉が震え、目の奥が熱くなった。
「――っ、坊ちゃん…!すみませんっ、……すみません…っ…!」
それは、今まで一度たりとも謝ることを“赦されなかった”男が、初めて懺悔した瞬間だった。
「………坊ちゃん」
「ん?」
ひとしきり泣き喚いて、ようやく嗚咽が止まりかけた頃。
ちり紙を渡しながら、「ほらっ、いい加減に薬も飲まないと」と急かしたユリウスに、パーンはまだどこか重い口を開いた。
「あの時……城に連れていかれる時、テッド君が俺に何て言ったか、分かりますか?」
「!」
「ん?」
ひとしきり泣き喚いて、ようやく嗚咽が止まりかけた頃。
ちり紙を渡しながら、「ほらっ、いい加減に薬も飲まないと」と急かしたユリウスに、パーンはまだどこか重い口を開いた。
「あの時……城に連れていかれる時、テッド君が俺に何て言ったか、分かりますか?」
「!」
『………パーンさん。俺は……大丈夫。だから………あいつのところに、行ってやってよ。きっと……寂しがってるだろうから………』
傷だらけの体を兵士に引きずられながら、彼は笑った。その笑顔は、土砂降りの雨に負けず、晴れやかだった。
彼もまた、自分を赦してくれたのだ。
傷だらけの体を兵士に引きずられながら、彼は笑った。その笑顔は、土砂降りの雨に負けず、晴れやかだった。
彼もまた、自分を赦してくれたのだ。
「……そう。テッドらしいね………」
ユリウスが笑う。
それは花が咲きこぼれるような、繊細で透明な笑顔。今ではほとんど見せることがなくなった、嘘偽りのない彼の本来の笑顔。
あぁ、今この人をこんな風に笑わせることができるのは、親友であった彼だけなのだと。そして、この人から彼を奪ったのは、やはり自分に他ならないのだと。
パーンは未だ続く責め苦に耐えるように、ぎゅっと歯を食いしばった。
きっとこの罪は、一生消えない。自ら許すつもりもない。
涙ごと飲み干した薬は、いつもよりもずっと、苦かった。
きっとこの罪は、一生消えない。自ら許すつもりもない。
涙ごと飲み干した薬は、いつもよりもずっと、苦かった。
† END †