薬屋探偵妖綺談
究極の差し入れ
 
 
 
 
「ただいまー」
 やや寂れた七階建ての鉄筋コンクリート。その最上階西端の一室に、よく通る少し高めの少年の声が響き渡った。
「今日も一日ごっくろーさんっと~♪」
 くの字に体を折り曲げ、鼻歌交じりに靴を脱ぐ。淡いセピア色の髪が隠す顔は非常に整っており、華奢な手足は一見少女のようにも思えた。しかし彼は正真正銘の男である。
 少年は廊下を直進してリビングに入ると、ソファの背もたれに脱いだジャンパーを乱暴に放り投げた。そして何かを探すようにきょろきょろと部屋を見回す。
「――ザギ?」
 同居人の名を呼んだ彼に答える声はなく、部屋は静寂を保ったままだ。少年は首の後ろを掻くと、四畳半の一部屋に続くドアを軽くノックした。
 
  コンコン
 
「ザギ、入るぞ」
「火冬?」
 奥の机に向かって座っていた“ザギ”こと座木が、少年――火冬の声に反応し、椅子ごと振り返った。机の上には大量の教科書とノートが広げられている。どうやら勉強中だったようだ。
 普段穏やかな微笑みを絶やさない座木は、火冬の姿を確認すると途端に眉を下げた。
「申し訳ありません。気がつきませんでした」
「あぁ、気にするな」
 その言葉に座木は安心したような表情になると、椅子から立ち上がって火冬の前に立った。そして改めて彼を出迎える。
「おかえりなさい」
「ただいま。―――随分熱心だな」
「もうすぐ期末試験なので」
 体を傾けて座木の背後の机を見やる火冬に、座木は半身を開きながら答えた。すると火冬は机に近付いて一冊の教科書を手に取り、興味深そうにそれを眺めた。
「『試験』ね。懐かしい響きだ」
 ペラペラとページを捲る彼に、座木は内心ドキドキしていた。自分の高校生活の一部に触れられ、嬉しい反面照れくさいのだ。
「で?自信のほどは?」
「やるからには全力で臨みます」
 背筋をピンと伸ばして意気込みを告げた座木に、火冬は満足そうに微笑んだ。そして通り過ぎざま持っていた教科書を手渡す。
「ま、ほどほどにな。何事もTake it easyだ。僕は向こうでテレビでも見てる」
「はい」
 火冬の遠回しな声援を受け取ると、座木は椅子に座って勉強を再開した。
 
 

 
 

  カリカリカリ…………パタッ
 
「…………ふぅ」
 座木は鉛筆を置き、背もたれに寄りかかって一息漏らした。数学の大問を五つほど解き、ほどよく区切りがついたのだ。眉間に手を乗せ、若干混濁し始めた自らの意識を戒める。
 学生は勉強を嫌うと言うが、座木にとっては最高に面白い。学べば学ぶほど自らの知識を蓄え、高めていける。入学してまだ間もない頃は、授業中に書いたノートがまるで宝の地図のようで、それを見ると自然と頬を緩めたものだった。
 座木は問題集を閉じると、もう一度目を通しておこうと教科書を開きかかって、ふとあることに気付いた。
 ―――テレビを見ているにしては、やけに静かではないか。
 火冬が消えた隣の部屋からは、それらしき音は全く聞こえてこない。もし座木を気遣って音量を下げているのだとしたら、それこそ火冬に申し訳ない。
 座木は「そんな必要はない」と伝えるべく、慌てて自室のドアを開いた。すると――――
「あれ?何だ、ザギ。休憩か?」
 リビングに出た彼に降りかかったのは、妙に明るい火冬の声。キッチンにいたらしい彼は座木の傍へやって来ると、嬉しそうに笑った。
「ちょうど良かった。今差し入れを持っていこうとしてたんだ」
「差し入れ……ですか?」
「うん。これ、今日のおみやげ」
 そう言って彼が差し出したのは、コンビニの買い物袋だった。ビニール越しに透けて見えるのは、二つの小さなプラスチック製のカップ。
「これは?」
「抹茶プリン。バイト先でちょっとした話題になっててさ。どんなものか試しに買ってみた」
「では、お茶を淹れますね」
 抹茶とプリンという不可思議な組み合わせに少々顔を顰めながらも、座木は袋を受け取ってキッチンへ向かおうとした。
 しかしその彼の足を止めたのは、思わず耳を疑いたくなる火冬の科白。
「その必要はないよ。もう僕が用意したから」
「………今、何と?」
「だ・か・ら、僕が淹れたって言ってるんだよ」
「火冬が………ですか?」
「ja」
 大きく頷いた火冬と反比例して、座木の顔がみるみるうちに青ざめる。火冬は愉快そうに彼をソファに座らせると、自分はキッチンに戻って冷蔵庫に入れてあったそれを取り出した。
「じゃーんっ!!僕特製、ミラクルハーブティーだ」
 派手な効果音付きで紅茶入れを持ってきた火冬に、座木は息を飲むしかなかった。目の前のテーブルに置かれた液体は、どう見てもハーブティーのそれではない、鮮やかな群青色をしていたからだ。
「あの……火冬。これは本当にハーブティーなのですか?」
 恐る恐る尋ねた座木に、しかし火冬は晴れ晴れとして言い放った。
「うん。全十八種類のハーブを細かく調合して、ついさっき漸く出来上がったんだ」
 ハーブを混ぜただけでこのような色になるのだろうか。座木は思い悩んだが、それが解明できる訳もなく、腹をくくってそれを頂戴することにした。 
「………いただきます」
「ん。僕も飲もうかな」
 二人同時に口の中へそれを流し込む。互いの喉が鳴る音だけが室内に響き渡った。
 
  ゴクンッ
 
「「………」」
 飲み終わった途端、二人が全く同じ顔になる。そして火冬は座木以上に眉間に皺を寄せた。
「にが……。何コレ?」
「……火冬がお作りになったハーブティーです」
「おっかしいなー。どこで間違えたんだろ?」
 座木には飲む前から予想が付いていたことだったが、火冬にとっては全くの誤算だったらしい。顎に手を添えて真剣に悩む彼に思わず苦笑してしまう。
「お茶を淹れ直してきますね」
 唸る火冬を横目に、座木は群青色の液体がまだなみなみと残った紅茶入れを持って立ち上がった。そして先程よりも何故か妙に冴えた頭で、抹茶プリンに合いそうな茶は何かと検討しながらキッチンに足を向けた。 
「でも―――」
「?」
 背後からかかった逆接詞に立ち止まり、疑問符を浮かべて振り返る。
「睡魔には効果抜群だっただろ?」
「え……」
 目を丸くする座木に向けられたのは、どこまでも深い、不敵な微笑み。
 
 
 

END