「やぁルック」

 そばで聞き慣れた声がして。
 いつものように石版の前で暇を持て余していたルックは、面倒くさそうに顔を上げた。
 案の定、そこに立っていたのは若草色のバンダナをした隣国の英雄。にこにこと誰もが見惚れそうな笑顔を振りまいている。
 しかし、不意にルックの目に飛び込んできたのは彼の笑顔などではなく、その腕の中に抱かれた何とも不釣り合いな存在だけだった。

 

 

 

幻想水滸伝

誓いの手

 

 

                                       

「……………何それ」
「何って、赤ちゃんだよ?」

 ―――そんなことは分かっている。
「いったいどこから持ってきたわけ」
「なに、ルックは僕がキャベツ畑からこの子を拾ってきたとでも思ってるの?」
「………」
 ―――話にならない。
 ルックは冷ややかに一瞥すると、会話を諦め、懐から取り出した本のページを捲り始めた。
 するとどうやら反省したらしいユリウスが、苦笑しながらその本を閉じさせる。
「冗談だよルック。怒るなってば」
「君がおかしなことを言うからだろ」
「あれ、知らないの?どこかの国では本当に『赤ちゃんはキャベツ畑でキャベツに紛れて生まれてくる』って言われてるらしいよ?」
「………君、話す気あるのかい」
「はいはい睨まないの。この子が怯えてしまうだろう? ちゃんと話すからさ」
「まったく……」
「実はこの子―――」
「お~い、お二人さん!」
「ユリウスさ~ん、見つけました~!」
 ユリウスがようやく真面目に話を切り出そうとした時だった。彼の後ろから場違いなほど陽気な声がかかったのだ。
 それにルックはフンと鼻を鳴らしたが、ユリウスは微笑みながら緩やかに声の主を振り返った。
「シーナ。それにカナタも」
「よぉ…!!?」
「!!?」
 快活に笑いながら走り寄ってきた二人が、彼の腕の中のものを見て仲良くその場で凍りついた。
「おま……その赤ん坊、どこから持ってきたんだ?」
 しばらくして。
 シーナがわなわなと震える指で赤ん坊を指さした。
 ルックと同じ事を言うんだな、と内心笑いながらユリウスが口を開く。
「この子は――」
「あー分かってる!俺には全ッ部分かってるからお前は何も言うな!」
「え?うん」
 眼前に手を広げ唐突に台詞を遮ったシーナに、ユリウスは可愛らしくこてんと首を傾けた。
「その赤ん坊は…―――」
 長い人差し指をピンと立て、シーナが真剣な表情で言葉を切る。ユリウス、カナタ、ルックの三人もどこか神妙にその続きを待った。
 四人の間に重い緊張が走る。
「ずばり、ルックの子だろ」
   ドゴッ!
「ってぇ~……何すんだルック!!ロッドで思いっきり殴りやがって!」
「寝言は寝てから言いなよ」
「だってこの赤ん坊お前にそっくりじゃん!髪の色なんかまるで同じだぜ!?」
「言われてみれば確かにそうだね」
「よく見たら目の色も似てますよ」
 ユリウスの背中に隠れながら涙目で訴えたシーナに、二人のリーダーも揃って頷いた。
「だろ?だから俺はてっきりるっくんがパパになったのかと――」
「……あんた、よっぽど死にたいらしいね」
「げっ、ちょお待て!ここで真の紋章はやめろってマジで!ユリウス、ルックを止めろっ!」
「え~」
「ユリウス、巻き添え食いたくなかったらそこを退くんだね」
「おいおい!こいつだって『ルックの子ども説』に賛同してたじゃんか!」
「してないよ僕は」
「バカ言ってんのはあんただけ」
「くっそー、お前はユリウスにだけは甘いんだったよなコノヤロー!」
 この三人は昔からこうらしい。
 互いのことを本人以上に理解し合い、言葉にせずとも気持ちが通じ合う、深い絆で結ばれた解放軍時代からの同志――本人たち(特にルック)は挙って否定しそうだが――。
 そんな彼らを羨ましいと思いつつも、このまま放っておいて城を壊されては、軍師の落雷を受けるのは自分である。それだけは何としても回避しなければ。カナタは恐ろしい想像に顔を強張らせる。
「そ、それで結局その子は誰なんですか?」
「あ、うん。今日一日だけ僕が預かることになったんだ」
「「はぁ?」」
 ルックとシーナが揃って眉根を寄せる。
 ユリウスは赤ん坊の頭を優しく撫でながら、事の経緯を話し始めた。
 彼の話によると、先日この城に亡命してきたとある未亡人が、今日から城下町に仮住まいを与えられるのだという。しかし今日は一日中入居のための準備に追われるため、赤ん坊の面倒を見ることができずに困り果てていた。そこに偶然通りがかった彼が、あっさりとお守り役を買って出て今に至る、というわけである。
「………ほんっとーに君ってやつは」
「優しいんですね!さすがユリウスさん!」
「未亡人までたらし込むとは……この天然女性キラーめっ」
 三者三様の反応を返した三人に、ユリウスは足下に置いてあった紫色の風呂敷包みを持ち上げてみせる。
「で、これから外の暖かいところでお弁当でも食べようかと思って」
「わぁ!ボクも行っていいですか?」
「うん、もちろん。でも仕事の方は大丈夫なの?」
「えっ!だだ、だ、だぁいじょうぶですよ!今日の分はとっくに終わって――」
「カナタ殿ッ!!!」
「げっ、シュウさん…っ!」
 これ以上ないタイミングで、鬼のような形相をした正軍師が現れた。
 彼はずんずんと大股で近寄ってきたかと思えば、主君の首根っこを掴んであっさりと拘束する。
 「ボクもおべんと~」と涙を流しながら、カナタはあっという間に軍師に引きずられていってしまった。

「悪いけど俺はパスな」
 やがて。
 まるで今の出来事は無かったかのように、ヒラヒラと手を振りながらシーナが言った。
「これから酒場で女の子を誘って―――…っておい」
 軽やかに歩き出そうとした彼の服の裾を、ぐいぐいと引っ張るものがある。
 見れば、それはユリウスの腕の中から懸命に伸ばされた赤ん坊の小さな手だった。
 放せ、と服を引っ張り返すシーナと、握り締めたままちっとも放そうとしない赤ん坊の様子に、ユリウスが珍しく肩を震わせて本気で笑い始める。
「ナンパされちゃったね、シーナ」
「笑いながら言うなっ。赤ん坊に、しかも男にナンパされても嬉しくねぇっつーの!」
「付き合ってやったら、パパ」
 先程の仕返しなのか、ルックが心底意地の悪い笑みを向ける。
「お前は行かないのかよ」
「当然だろ」
「ルックパパが来ないんじゃ、こいつも寂しがって――」
「…………殴るよ?」
 こめかみに青筋を浮き出して、ルックが絶対零度の視線を向ける。
 凍りつくような空気にこれ以上はやばいと観念したのか、シーナは一つ小さく息を落とすと、未だにしつこく笑い続けているユリウスの手から弁当を奪った。
「仕方ねぇ、今日だけはこのシーナ様がパパ役やってやる」
「じゃあママ役は僕?」
「うぇ~確かにお前は美人だけど、連れ添いになるのは勘弁してくれ」
「うん、こっちも御免被るよ」
「親父が聞いたら泣いて喜んですぐさま祝宴を開きそうだけどな」
「「………」」
「………嫌なこと言わないでくれる」
「………悪ぃ。俺もあながち冗談じゃ済まないことに気づいた」
「馬鹿なこと言ってないで、行くならさっさと行きなよ」
 なかなか石版の前から去ろうとしない二人に、ルックが痺れを切らす。
「も~ルックパパったら怒っちゃいやん」
「あんた……いい加減にしなよ…?」
 シーナはあくまでもそのネタでからかい通すようだ。
 ルックの怒りも頂点まであと僅かというところまでやって来た。
 そして最後にその引き金を引いたのは、不穏な空気に怯え始めた赤ん坊を抱く若き英雄だった。
「でもルックって、父親というよりどちらかというと……」
 よしよしと赤ん坊をあやしながら何気なく言った彼に、「あ」とシーナも何かを思い立つ。
「「――小姑?」」
  ゴオォッ!!!
 二人の声が寸分の狂いなく揃うと同時に、風の刃がものすごい速さで彼らに襲いかかる。
 ユリウスとシーナは迫り来る刃から逃げるようにして、大広間から全速力で退散したのだった。
 
 

* * * 
 
 

「可愛いね」
「んぁ?」
  城の中庭に降り注ぐ穏やかな陽光の下。
 ハイ・ヨー特製の離乳食と弁当を食べ終え、シーナが満腹になった腹をさすっていると、隣で赤ん坊の手を取って掴まり立ちをさせていたユリウスがぽつりと呟いた。
「この小さな手も、いずれは大きくなるんだよね」
「だろうな」
「その時、この手が武器を握る必要のない、平和な世の中になっていたらいいなって思うよ」
 そう言って、ユリウスは赤ん坊の手を愛おしそうに包み込む。
 シーナは何かを言いかけて、しかしぐっと口を結んだ。

 頭をよぎるのは、その右手に宿る呪われた紋章。
 齢15のまま時を刻むのを止めた、彼の華奢な身体。
 完璧なまでに演じ切った軍主としての笑顔と、親友を失った夜に垣間見せた彼の真実の姿。
 多くのものを失って。心も体も傷つけて。
 それでも彼は前を見つめ続けた。“軍主”の顔の中に、最後まで“自分”を押し込めて。
 あれだけ傷ついたのに。
 あれだけ苦しんだのに。
 なぜ彼は再び戦いの場に戻ってきたのだろう。

「――お前、今戦いの中にいて辛くないか?」
「え…」
 言いようのない憤りを感じ、気づけば口を開いていた。
 シーナの突然の問いに、ユリウスは瞠目する。しかし、驚きはすぐにいつもの柔らかな微笑へとすり替わった。
「辛いのは僕じゃなくてカナタだと思うけど?」
「あのな~俺が言いたいのはそういうことじゃ――」
「分かってる、心配してくれてるんだよね。シーナパパは優しいなぁ」
「茶化すなっ」
 気恥ずかしさも相まって、くすくすと笑っているユリウスの頭を思いきり小突く。
 すると彼は一瞬で笑みを潜め、伏し目がちにシーナを見上げた。長い睫が穏やかな顔に影を落とす。
「ありがとう。でも、僕は大丈夫だよ」
「お前の『大丈夫』は当てにならねぇっての」
「うわっ、ひどいなぁそれ」
 自嘲気味に目を閉じて。
 ユリウスは、あぅあぅと言葉にならない声と共に伸ばしてくる赤ん坊の手をぎゅっと握り返した。
「……今はただ、醜い争いを知らないこの子たちの未来が平穏であるように。この手を血に染めなくていい、そんな幸せな日々がやって来るように」
 歌うように紡がれる言葉。それはまるで聖者の祈りにも聞こえる。
「そのために僕は戦う。持てる力の全てを尽くしてね」
 ユリウスは無邪気に笑う赤ん坊の瞳をまっすぐに見つめた。そしてその小さく柔らかな手に優しく口付ける。
「それを、この手に誓うよ」
 三年前、誰もが焦がれたその瞳に強い光を宿し、ユリウスはこの上なく綺麗に笑った。
 その笑顔が、偽りのないものだと分かったから。辛くない、とまっすぐに伝わってきたから。
 不覚にも目頭が熱くなるのに気づき、シーナは慌ててぶんぶんと首を振った。
 そして赤ん坊の空いている方の手を負けじと強く握り締める。
「俺も―――」
「……シーナ?」
「俺も誓う」
 低く呟かれたその言葉に、ユリウスが心底驚いたように目を瞬く。
 そして。
 シーナの視線の先で、ふわりと花のような微笑みが広がった。
「ふふ、だから僕はシーナが好きだな」
「はいはい、そりゃどーも」
 さらりと殺し文句を言ってのけたユリウス。
 これだから天然たらしは困るんだ!と内心バクバクしながら、シーナは余裕ぶって肩を竦めた。
 
 ―――――願わくば、“彼”にも平穏で幸せな日々を。
 
 願ったのは果たしてどちらだったのか。
 それを知るのはただ一つ、頭上に輝く穏やかな太陽だけ。
 
 
 
END