幻想水滸伝
孤蓬の咎人
 
 
 
 ――闇。

 どこまでも拡がる暗鬱とした世界。
 重い空間。
 光などない。
 出口も見えない。
 自分は今、立っているのか。寝ているのか。浮かんでいるのか。
 右を見ているのか。それとも左を見ているのか。

 ――――何モ、何モワカラナイ。

 右手がひどく疼く。
 
 音が、聞こえてきた。
 サラサラと、水の流れる音。
 
『忘れないで…………帝国の統治の下で、もっと多くの人たちが、涙を、血を流している………』
 
 自分が信じる道を進めと、初めて教えてくれた人。
 もう目を逸らすことはできないのだと、立ち上がった。
 
 

 次に聞こえてきたのは、鉄の扉を叩く音。
 
『………坊ちゃんは、私の誇りですよ。お願いです………最後まで信じることを貫いてください』
 
 いつだって傍にいて、温かく見守り、守ってくれていた大切な家族。
 今も隣にいるけれど、一度失くしたからこそ、また失ってしまうのが恐ろしい。
 
 
 
 今度は、周りを取り巻く大勢の人の声。
 
『父にとって………息子が自分を超える瞬間を、見ることができるのは………最高の、幸せだ。私はお前の選択を………祝福する……』
 
 幼い頃から目標だった大きな背中。
 その温もりをこの手で奪った恐怖に、震えが止まらなかった。
 
 

 そして、音が消えた。
 
『そんな顔するなよ………俺が、選んだことだ。………元気、でな………俺の分も生きろよ………』
 
 最初で最後の、ただ一人の親友。
 彼を取り戻せば、すべてが元に戻るような気がしていた。
 でも彼は、亡骸さえも残さずに消えた。

 ――――消エテシマッタ、何モカモ。

 足下が、世界が、崩れた。
 
 それでも浸食は終わらない。
 暗い呪いはどこまでも続いていく。
 
 

 また、音が聞こえてきた。
 輝く城が崩壊する音。
 
『お前をこんなところで殺させるわけにはいかない。早く行け!』
『なーに、大丈夫だ。すぐに後を追うから心配するな!』
 
 彼らを信じて、一度も振り向かなかった。
 でも、彼らはとうとう帰っては来なかった。
 
 
 
 そして。
 大地を揺るがす盛大な拍手と歓声。
 
『リーダー! 軍師殿が……ッ!!』
 
 ずっと共に歩み続けてきた、師であり、友であり、父でもあった人。
 
『人殺しっ!!』
 
 彼に縋り付いて泣く少女の叫びが、胸を貫いた。
 
 
 
 もう二度と失うまいと、守り通すと誓ったのに。
 自分はまた失った。

 ――――マタ、失ッテシマッタ。

 かけがえのないものは、結局何一つ、守ることができなかった。
 

 闇が拡がる。
 浸食する。
 包み込む。
 蹂躙する。
 
 
 枯れ果てていたはずの雫が一つ、音もなく落ちるのを感じた。
 
 
 
 
 
 
「……………ん…………ちゃん………」

 聞こえる。
 昔からよく知っている、温かい声。

「………ちゃん…!」

 何だか焦っているようだ。
 必死な様子で肩を揺さぶられている。

「坊ちゃん!!」
 
 ――――グレ、ミオ…?

 闇は次第に晴れていき、薄ぼんやりとした視界が開けていく。一番最初に目に入ったのは、ほっと安堵の表情を浮かべた付き人の姿だった。
「よかった……起きられましたね。ひどく魘されてたのでグレミオは心配しましたよぅ……」
 へにゃりと情けない顔をした彼に、思わず笑みが零れた。
 体を起こし、伸びた前髪を掻き上げる。
 昨夜、暖を与えてくれた火はとうに消え、森の奥から鳥が軽快な声を響かせている。眩しい陽の光に、今は朝なのだとようやく実感することができた。
「坊ちゃん、おはようございます。いい朝ですね」
 付き人がいつものように笑顔で朝の言葉を紡ぐ。だから自分もいつものようにその笑顔に答えた。
 
 ――――おはよう。
 
 だが。
 付き人の顔色が変わる。目を大きく瞠って、呟くように自分を呼ぶ。
 
「…………ぼっ、ちゃん…?」
 
 ――――どうしたの?
 ――――…?
 
 ようやく自分でも異変に気づいた。
 口は動いているはずなのに。言葉の形を為しているはずなのに。
 
 出るべきはずの音が―――声が、出なかった。
 
 ぎこちなく手を喉に当てて。何か言おうと、必死に声を絞り出そうとするものの。
 その手が震えを感じることはできなかった。ただヒューヒューと、乾いた空気の音が漏れるだけ。

「坊ちゃん、まさか………声が出ないんですか…?」

 付き人の青年が、今にも泣きそうな表情で覗き込む。
 そんな彼に、大丈夫だと笑ってみせた。
 すると、付き人は泣いた。泣けない自分の代わりに泣いた。
 その涙がとても綺麗で、自分はどこか安らかだった。
 
 
 
 
 ただ一人、闇を彷徨い続ける咎人は、自らの音まで失った。

 それはとてもとても深い、傷痕のしるし。

 それでもまだ、彼は先の見えない暗闇を、歩き続けるしかなかった。
 
 
 
 
  END