冷たい夜に怯えないで
                                    静けさに泣かないで
                                       傍にいるよ
                                        
                                  煌めく波も輝く星も
                                 全てが君の家族だから
                                   この海に生きている者
                                 全てが君の仲間だから
                                        
                                    一人じゃないよ
                                      寂しくないよ
                                たとえどんなにつらくても
                              たとえどんなに苦しくても
                                明日は必ずやって来る
                                        
                                      だから恐れないで
                                      だから前を向いて
                                        
                                 明日を信じて歩いていこう
                               君は決して一人じゃないから
                                        
                                         傍にいる
                                        傍にいるよ



             幻想水滸伝
              海の檻歌



「それ、すごく綺麗だね。何ていう歌なの?テッド」

 高いテノールの歌声に黙って耳を傾けていた少年が、若草色のバンダナを揺らして興味深そうに首を傾げる。
 テッドはそんな親友に、釣り竿の先を見つめたまま「さぁな」と肩を竦めてみせた。
 すると隣の彼が見るからにムッとした表情になる。
「別に教えてくれてもいいだろっ。テッドのケチ~!」
「わわっ馬鹿、止めろってユリウス!…わかった教える!教えるから竿を揺らすのは止めろ!魚が逃げちまうっての!」
「へへっ」
 その言葉に満足したように、ユリウスはにっこり笑うとテッドの釣り竿から手を放した。 髪と同じ漆黒の瞳を、期待という光で輝かせながら。
 テッドはふぅと一息ついてから、やがて少し困ったように自分の右頬を掻いた。
「――と言っても、実は俺も知らないんだよな」
「? 名前を知らないのに歌は歌えるの?」
「……昔の知り合いがよくこの歌を歌っててさ。何度も聞いてるうちに自然と覚えちまったってわけ」
「へぇ…?」



   ―――…ザ……ザザァ……ッ

 白い月が暗闇にポッカリ浮かんだ夜。
 波の音を背に、船の甲板で一人歌っていた彼。
 その後ろ姿が何だかとても寂しそうで、儚くて。
 姿を見せるどころか声もかけられずに、自分はただその綺麗な歌声に聞き入ることしかできなかった。



「………」
 遠い日々の情景に目を細めると、テッドは傍にあった小石を川に投げ入れた。
 ポチャンと小さく水が跳ねる。
「ねぇっ」
「な、何だよ」
 前触れもなくガバッと顔を覗き込んできたユリウスに、僅かに仰け反る。

「その知り合いって、テッドの恋人?」

「はぁ!!?―って、うぉっ!?」
 勢いよくユリウスを振り向くと同時に、ガシャーンと大きな音が響いた。
 見れば、脇に置いてあったバケツがテッドの肘に倒され、二人の傍を離れて転がり出しているではないか。
 突拍子もない発言をした張本人ユリウスは、慌ててバケツを確保しにいった。

 彼が戻ってくると、テッドは「悪ぃ」と一言謝ってから、改めて咳払いをした。
「恋人も何も、そいつは男だ男。昔少しだけ世話になったんだよ」
「なーんだ、残念」
「残念ってユリウス、お前な……」
 テッドにバケツを押しつけ、早くも釣り竿の先に視線を戻してしまった親友に、がっくりと肩を落とす。

  サアァ……ッ…

「………」
 辺りに流れる清々しい音を聞きながら、テッドは感慨深げに目を閉じた。

 水の音が、暖かい日差しが、頬を撫でる風が。
 自分を囲む全てのものが、あの日々を過ごした海と同じようで。



   ――――友達にならない?

 そう言って差し出された温かい手。
 海と同じ色の瞳で、まっすぐに自分を見つめてきた彼。
 その瞳が持つ強さに、どれだけの羨望を抱いたことだろう。



「―――――…あいつは、友達だよ」
「え?」
 テッドの独白にも似た言葉に、ユリウスが振り向く。
 その視線に自嘲的な笑みを返しながら、テッドはあの時のことを思い出していた。



 それは、強い意志の篭もった目を持つ彼と、初めて出会った時のこと。

『紋章のせいで、失ったものも多いでしょう』

   ――――でも、得たものも沢山あったよ。

 暗鬱とした闇が半永久的に続く中。
 その時自分は、確かに一条の光を見た。

 だけど。

   ――――友達にならない?

 差し出された手を、握り返すことはできなかった。
 自分には誰かと慣れ親しむことなんて許されない。
 そんなことをすれば、この右手に宿る紋章は間違いなく彼の魂を喰らうだろう。
 
『……悪いけど、俺は誰とも話す気にはなれないんだ』

 視線を外し、彼の手を頑なに拒む。
 すると彼は「そっか」とだけ言って、少し寂しそうに笑った。
 その笑顔が無性に切なくて、見ていてとても辛かった。



「……そいつ、『俺に構うな』って何度言っても懲りずにやって来るんだよ。しかも必ず大量の饅頭を持って」
 両手いっぱいに饅頭を抱えた彼を思い出し、テッドは思わず噴き出した。
 しかし、ユリウスは何やら難しい顔をしてこちらを見ている。
「『俺に構うな』って………何でテッドはそんなこと言ってたの?」
「そ、それは……」
「それは?」

 言えるわけがない。この右手に宿る紋章が原因だから、だなんて。

「………恥ずかしかったんだよ」
「?」
「ほら、俺ってここに来るまで一人であちこち旅してただろ? だからめちゃくちゃ人見知り激しくてさ。それなのに山みたいに饅頭持って遊びに来られてみろ。もう恥ずかしいの何のって」
「確かに、ここに来た時もテッドってばツンツンしちゃって感じ悪かったもんねぇ。今となっては見る影もないけど」
「なっ…!こう見えても結構デリケートなんだぞ俺は!」
「はいはい」

 どうやら上手く誤魔化せたようだ。
 こいつには、ユリウスだけには知られたくない。本当のことなんて。

 テッドが内心ほっと胸を撫で下ろしていると、隣でユリウスが堪えきれないとばかりに腹を抱えて笑い出した。
「それにしてもテッドが…っ、くくっテッドが、デリケート…っ、あははっ!」
 合間に笑い声を織り交ぜて苦しそうに喋っている。
 そんな彼を、自分も笑みを零しながら「このやろっ」と羽交い締めにした。

「――…だけど」
「ん?」
 しばらくすると、腕の中でユリウスが呟いた。
「その人、どんなことを思いながらこの歌を歌っていたんだろう」
「―ッ」

 風が、大気が、大声で啼(な)いたような気がした。

 どんな、こと…――――?



   ――――……大丈夫………まだ…大丈夫、だから………。


 尋常でない量の汗を流しながら。
 ひどく苦しそうに呼吸を荒げながら。
 何度も何度も繰り返される、「大丈夫」という言葉。

 紋章を使う度に、目に見えて弱っていく彼。
 もともと細身だった体は更に痩せ細り、顔色も青白くなっていた。
 いつ燃え尽きてもおかしくないその命。
 確実に忍び寄る『死』の足音が恐くないはずはないのに。

 それでも彼は笑っていた。
 仲間の前では、いつもと変わらない笑顔を絶やさなかった。
 その陰で、いったい彼はどれだけの血を吐き、苦しんでいたのだろうか。


   ――――この紋章は仲間を、皆を守れる力なんだ。だから絶対に逃げない。


 そう言って左手を握り締める彼の顔つきは、何よりも強く、誇らしかった。
 自分たちはその強さに、その笑顔に、結局最後まで甘えてしまっていたのだ。


 ………そう、最期まで。



「それで? 今はどうしてるの?」
「―え、あ…何がだ?」
「その歌を歌ってくれた人だよ。今はどこにいるの?」
 ユリウスの言葉に、心臓がどくんと跳ね上がる。
 体が、声が、震える。
 血が逆流しているような、嫌な感覚。

 痛い。苦しい。気持ち悪い。

「………………旅に、出たよ。長い長い旅に、一人で………」
「ふーん…」
 俯くテッドの顔色はひどかったが、ユリウスがそれに気づくことはなかった。
 先程のテッドと同じように、傍にあった小石を川に投げ入れている。



『…お前はすごいな。そんな紋章を持っているってのに、自分の道をまっすぐに歩いてい る……。なぁ、俺もいつかはそんな生き方ができるかな…?』

 最終決戦の前夜。
 部屋を訪れた彼に、気づけばそんなことを言っていた。
 その時自分は、珍しく他人に心の内を見せたことが気恥ずかしくて、いつも以上に無愛想な顔をしていたのだと思う。
 しかし彼は、ソウルイーターが宿るこの右手を両手で包み込むと、穏やかに目を細めてこう言った。


   ――――あぁ、できるよ。


 その瞬間、霧の船の時と同じ温かい光を感じた。


 彼のように、真の紋章に立ち向かえる勇気と強さを持ちたい。
 そう願って、これまで一人で生きてきた。
 あの夜の会話があったから、右手の紋章と正面から向かい合うことができた。


 ………だけど、そう言って笑ってくれた彼は、もうこの世界にはいない。


 崩れる要塞の爆風から仲間を守るために紋章を使い、残った命は全て喰らい尽くされてしまったのだ。
 眠るように安らかな彼の最期を、今でもはっきりと覚えている。
 その亡骸は小舟に乗せられ、青い海へと静かに還された……。

 すぐに自分は船でその地を去ったから、彼の守った群島諸国がその後どうなったのかはわからない。
 でもきっと、あの青い海と空は変わっていないのだろう。
 150年という長い月日が経った今でも、ずっと。



「旅、か……――――じゃあさ、テッド」
 テッドが遠い海と空に思いを馳せていると、不意にユリウスが口を開いた。
「何だ?」
 顔を向けると、眩しいほどに満面の笑顔が返ってくる。
「いつかまた、きっとその人と出会えるよ」
「―ッ!」


 ほんの一瞬、テッドの脳裏を掠めたのは、とても小さな遠い記憶の欠片。


   ―――――いつかまた、必ず会えるから。だから、明日を信じて生きて欲しい。


 そう言って優しく抱きしめてくれたのは、誰だっただろう。
 
 150年前の彼ではない。
 今、目の前で笑っているユリウスでもない。
 遠い遠い昔、絶望の中に感じた一つの光。
 それは…―――――



「………また会える、か」
「うん、きっと!」
「そうだな、信じてみるのもいいかもな。………へへっ。ユリウス、何だかお前が言うと ホントにそうなる気がするよ」
「そうかな」
「あぁ。さすがは俺の親友だっ!」

 信じてみるのもいいかもしれない。

 彼も仲間を信じ、勝利を信じ、戦い抜いたのだから。
 それがきっと、あの歌に込められた想いなのだから。

 信じよう。

 また会えると。
 いつの日にか、きっと…――――――――




                                       END