戦いは終わった。
 腐敗した帝国は倒れ、人々は歓喜した。
 新しい時代の始まりを告げる鐘の音が、この地に響いた。
 けれど。
 『彼』が得たものは、果たして在ったのだろうか。
 
 
 
 
幻想水滸伝
いつか帰る場所
 
 
 
                                        
「…………行ってしまわれるんですね」
 鍵の掛かっていない扉を開けると、部屋の主が静かにこちらを振り向いた。
 均整の取れた顔に色はなく、どこまでも強く深かったはずの漆黒の目はくすみ、まるで人形のようだと思った。
 彼は無言のまま若草色のマントを羽織り、革袋と棍を携えると、そのまま部屋の入り口に立つ自分の横を通り過ぎようとする。
「―――…坊ちゃん」
 そう声をかけると、彼の細い肩が微かに上下し、足が止まった。
「また……そう呼んでくれるんだ……」
「…はい」
 少しだけ、ほんの少しだけ嬉しそうに頬を緩めた彼に、自分も笑う。
 しかし彼は、すぐに険しい顔つきになった。
「………僕は『行く』んじゃない。『逃げる』んだよ。この国からも、この家からも、……君たちからもね」
「いいえ。坊ちゃんは守ろうとしているんです。この国に、二度と戦乱を呼び起こさないように。………ソウルイーターの手が、私たちに及ばぬように………」
 呪われし紋章の名前が出た瞬間、彼が右手を強く握り締めたのが見えた。
 そして彼は顔を上げると、ひどく自嘲気味に笑った。
「……買い被りすぎだ。僕は帝国を倒すだけ倒して、大統領の座も、この国の未来も、放り出そうとしているだけ」
「それは違います」
 きっぱりと言い放つと、彼の目尻がぴくりと動いた。
「坊ちゃん。貴方の使命は、解放軍を率いて帝国に打ち勝つことだったはず。その使命を果たした今、もうここに貴方を束縛するものは何もありません」
「………」
「だから、行きたいところに行っていいんですよ」
「――っ」
 驚いたように、彼が大きく目を瞠った。彼のこんな顕著な反応を見るのは、久しぶりだった。
「………でも、これだけは覚えておいて下さい」
 そっと両肩に手を乗せると、乏しいながらも、彼が不思議そうに目を細める。
「ここは、貴方の家です。どんなに時が経とうとも、それだけは変わりません」
「…!」
「私は、これからもこの家を守り続けます。坊ちゃんの帰る場所が無くなってしまわないように。それが…―――私がここにいる、ただ一つの理由です」
 幼い子どもに言い聞かせるように、ゆっくりと丁寧に言葉を紡ぐ。
 黙ってこちらに耳を傾けるその顔は、いつの間にか、自分がよく知る昔の彼のようだった。
 それでも。窓から差し込む月明かりを背に受けた姿は、今にも消えそうなくらいに儚くて。
 その存在を繋ぎとめるように腕の中に抱き寄せると、彼の体が怯えるように強張った。
「………いつかまた、帰ってきて下さいね。私は、いつでもこの家で待っていますから」
「クレオ……」
 抱きしめる自分の腕に、彼が手を重ねる。
 どうかこの小さな手が、今度こそ幸せを掴めますように。
 どうかこの小さな手が、再びここの扉を開けてくれる日が来ますように。
「いってらっしゃい、坊ちゃん」
「―――……いってきます」
 二つの影を見守る白い月は、どこまでも優しかった。
 
 
 
 
END