幻想水滸伝
おひさまのにおい
 
 
 
 なんとも気持ちのいい朝だ。太陽は眩しくて、湖から吹く風は心地良い。
 赤月帝国五将軍の一人テオ・マクドールとの死闘から2週間。帝国からの追撃も特には見られず、久しぶりに平穏な日々が続いていた。先の戦いで傷ついた兵士たちは傷を癒し、さらなる精進に励んでいる。
「こんな時でも、お日様ってのは昇るんだねぇ」
 バシャバシャと清々しい水音を立てながら、セイラはすうっと大きく深呼吸をした。
 あの日、自分は戦場に行かなかったけれど。兵士の一人から、どれだけ壮絶な戦いだったのかを聞いた。
 勝利を掴んだものの、軍主は瀕死の重傷を負い。怪我人で溢れかえった城内は、まさに地獄絵図のようだった。
「ん?」
 あの時の鬱蒼とした空気を思い出し、セイラが洗濯する手を止めて顔を顰めた時だった。
 ふと城内から姿を現した人間がその目にとまる。
 紅い胴着に身を包み、漆黒の髪を若草色のバンダナで纏めた、端正な顔つきの少年。
 この湖上の城に身を置く者で、彼を知らぬ者などいない。それはセイラも例外ではなかった。
「リーダー」
「やぁセイラ。おはよう」
 彼はこちらに気づくと、穏やかに微笑んだ。
 それがどことなく普段と違うように見えたのは、気のせいだろうか。
「しばらく絶対安静だって聞いたけど、もう体の具合はいいのかい?」
「あぁ、心配かけたね」
「それにしても珍しいじゃないか。アンタがこんなところまで来るなんて」
「ちょっと風に当たりたくて。邪魔してもいいかな」
「別にアタシは構わないよ。勝手にしな」
 彼はこの城を拠点とする解放軍の軍主だが、セイラは特に畏まった様子もなく会話を続ける。
 敬意を抱いていないわけではない。単に丁寧な口調で話すのが苦手なだけだ。彼もそれを咎めはしないし、気に留めてもいない。だからセイラも堂々と普段通りの口調で彼と接しているのである。
 彼はセイラの了承に小さく笑うと、徐に彼女の隣に腰かけた。そして、立てた膝の上で腕を組んで、湖の方にぼんやりと目を向ける。
 セイラが布を手洗いする音だけが辺りに響く。風が二人の間を緩やかに吹き抜けていく。
 やがて、彼が静かに口を開いた。
「いつもすまないね」
「何がだい?」
「洗濯。一人でやるには大変な量だろう?」
「大変っちゃ大変だけどね。いいんだよ。アタシは好きでやってんだから」
「そうか」
 そう言って僅かに口の端を上げると、彼はまたどこか遠くを眺め始めた。
 そんな彼に、セイラは眉根を寄せる。

 やはり、気のせいなどではない。
 いつものような輝かんばかりの覇気が見られない。
 しかし、それも当然といえば当然なのだろう。
 彼はこの世でただ一人の父を、その手にかけたのだから。
 その目には、何が映っているのだろう。
 その心には、何が巣喰っているのだろう。

 セイラは立ち上がると、彼の頭めがけて乾いたシーツを放り投げた。
「!」
 大きなシーツは、小柄な彼を頭からスッポリと覆ってしまった。
「アタシがどうして洗濯が好きなのか、わかるかい?」
「え?」
 シーツの下から、彼が顔を上げたのがわかった。
「辛いこと、悲しいこと、そういうこと全部を石鹸で洗い流すことができれば、こんないいことはないさ。だけど、そんなの無理に決まってる。そうだろ?」
「そう…だね」
「だけどさ、そういうものが染み込んだ服を綺麗にすることはできる。綺麗になった服から、お日様の力をもらうことはできるんだ」
「お日様の力?」
「そうさ。お日様ってのはね、すごいんだよ。アタシたちに生きる力を与えてくれる。アタシたちの行く末を照らして、辛いことや悲しいことに負けないように、前に進む勇気をくれるんだ」
「前に進む……勇気」
 彼が僅かに顔を俯けたが、どんな表情をしているのかはシーツに隠れていて分からない。
 セイラは手を休めずに話を続ける。
「だからアタシは洗濯が好きなんだ。綺麗になった服を着て、みんなが少しでも元気になってくれたらって考えるとさ、ワクワクするんだよ。ま、この戦場でアタシができることって言えば、これくらいしかないんだけどね」
 最後に自嘲気味に笑って、洗い終わった布を両手で広げる。彼女の手から零れる水が、一段とキラキラと輝いて見えた。
「………」
 その光景に、彼は眩しいものでも見るかのように目を細めた。
 そして、被っていたシーツの端を口元に引き寄せる。
「―――…お日様の匂いがする」
 どこか嬉しそうに告げた彼の顔には、いつもと何ら変わりのない微笑みが広がっていて。
 セイラは頭上の太陽に、胸の奥で人知れず感謝したのだった。
 
 
 
END