8月15日の今日は 大切な大切な家族 春の命日

お盆に逝ってしまうなんて。。。
去年の今日、この時間は もう春は 永遠の眠りについてしまったんだね…
お盆のこの日を選んだのは、きっと元気が お外が恐いビビリの春を想って
独りで寂しくないように。。
しっかり お空へ…虹の橋へ

「ぼくは、あのお空のずっとずっと向こうのキラキラ輝く虹の橋のたもとで春を待ってるよ!」「何も恐くないよ。だから恐がらず、真っ直ぐ昇っておいで!」
…そう元気が 春に伝えに来たんだ

そして、大好きだった元気の導きに安心した春は 、この日に旅立つ事を選んだんだね。。。
6月には 元気を…
そして8月に春を看取り 深い深い哀しみの中で 来る日も…来る日も涙を流し 気持ちのやり場がなく…
何の感情もなく ただロボットの様に過ごす日々が続いた。。
息子には 毎日泣いてる母の姿を見せてしまった…
夜も眠れず 横で すすり泣く私の声に 息子は何を感じていたんだろう。
あれから一年。。。
涙を流す日は少なくなったけど
春や元気を想わない日は 1日だってないよ

春が旅立つ2日前には 食欲はなくなってしまったものの しっかり自分の脚で立ち 歩く事も出来ていたのに
翌日には 立つことも歩くことも出来なくなり 少し歩いては倒れ込む春の姿が 今でも脳裏に焼きついて 哀しくて辛くて
そして申し訳なくて。。。
診療時間外だったけど 掛かりつけ医へ電話し 担当の先生が「連れて来てもいいですよ」と仰ってくださったので だらんと力の抜けた春を抱っこし 急いで病院へ行った…
血液検査の結果 腎性貧血と診断された
10日ほど前の血液検査でもPCV 31.8(正常値37~55) と 正常値より低値だったけど
この時の数値は 23.7と更に貧血が進んでいた
あ~ 今でもあの時の事を思い出すと涙がでる
今後の事について…そして春が今 どのステージにいるのか…先生と色々 話しをして
半日入院して静脈点滴にするか?
今まで通り 自宅皮下点滴を続けるか?…
静脈点滴をすれば 貧血は更に進むし 数値の改善がみられるかも解らない…
もうこの次点で 絶望的だった。。
もしかしたら 入院中に息を引き取る可能性もある…
私たち家族が下した決断は 我が家に連れて帰る事。。。

右:小夏 左:春
※ 春はMC挿入してます。夏っちゃんは皮膚病のため、家では首輪(迷子札)はずしてます。
今でも この決断が正しかったのか?
もしも。もしも。。。
自問自答する日は 今でも…
そして私が死ぬまで続くだろう
95%助からないかもしれないけど 残りの5% ネスプ注射が効いてくれて 何とか持ち直してくれるかも…
その5%にかけたかった…
家に帰り 夕方から 私の望みを打ち砕く症状があらわれ始め
吐血をした時、私は「春の腎臓は限界なんだ」と悟った。。
ならばせめて 春がこれ以上 苦しまない様に
尿毒症にならない様にと …
泣きながら 弱っている春の身体に最後の点滴をした…
この点滴をする時も私は 心の何処かで奇跡を信じていた
明日になれば また少し元気になった春の姿を見れるかもしれない…と
夜11時過ぎには 開口呼吸になり 嘔吐・タール便も頻繁になった
春の犬生の中で 最も辛く苦しい時間だったと思う。。。
私が希望を持てば 春はそれに応えようと頑張ろうとする…
希望を持つ事が この時の春にとって凄く酷な事で 残される者のエゴだったのかもしれない…
「もういいよ春」「頑張らなくていいよ」
頭を撫で 身体を擦り そう春に告げた。。
翌朝の8月15日 8:08に 私の大切な…大好きな春は 私の腕の中で9才4ヶ月の生涯を終えた。。。

私の大切な春を奪っていった 慢性腎不全と言う病魔が本当に憎い。。。
9才…人間の歳で52才くらいかな
早すぎる旅立ちだった
ごめんね…春
こんなに早く 旅立たせてしまった事。。
まだまだ いっぱい楽しい事したかったよね。
美味しい物も食べたかったよね。
ごめんね…本当にごめんなさい。。。
気が強いけど ビビリな春だから お空で寂しい想いをしないか…
それだけが心配だったけど…
先に元気がお空で待っていてくれてたから大丈夫ね

春?…虹の橋

病気で苦しんだ身体を脱ぎ去り 今は不自由なく元気に過ごせてますか?
元気になったその姿を 元気と一緒に お母さんに見せに帰って来てね


大好きな大好きな は~たん


お母さんの所へ来てくれて ありがとう

たくさんの想い出と幸せを ありがとう

これからも ずっとずっと お母さんの大切なは~たんだよ


