7月11日、今日で息子は9才になりました
9年前、嫁さんの実家方面の西八王子のとある病院で息子は産まれた
前日嫁さんから連絡があったので立会いの為期待と不安を持って八王子へ
その不安が的中するとはその時は思わなかったな、この事件がきっかけで不安障害になったのだろう
あの日の八王子の気温は今日の東京の気温とは比べものにならないくらい暑さがハンパなかったと記憶してる
駅に到着すると嫁さんの妹が出迎えてくれて一緒に病院へ
何故か妹もなにか不吉な予感がすると
で、病院へ到着
予感は当たった、嫁さんが病室に居ないのでナースステーションへ行くと医者が呼んでると
言われるがまま医者の所へ行くと何故か怒られた、なぜもっと早く来ないんですか!看護師から連絡があったでしょう!
そんな電話はなかったし、後で家へ帰って電話を確認したが留守電どころか着信すらなかった、看護師は嘘をついたのだ
不安は的中、細菌感染して母子共に危険な状態だと聞かされた、人生で初めて腰を抜かした瞬間だった
助かりますか?と聞くと子供は助かるが奥さんは分からないと
頭が真っ白な状態で書類にサインした
何故か緊急帝王切開手術の立会いをした、それだけ危なかったのだろうか?
いや、妹も看護師なのであとで聞くとありえないと
麻酔が効く前に手術は始まった、本当に緊急だったんだなと、勿論切腹状態、手術室は一種の拷問部屋のようだった
医師でも、看護師でもない俺はまともに見る事なんてできなかったし、手が震えて取り出された子供に触れる事も出来なかった
手術はなんとか終わったが2人とも今日明日にも容態が急変する可能性があるので油断出来ないとのことを医師に言われた
その日産まれた子供達がガラス越しにいるのだが勿論うちの息子の姿はない
数日後、やっと息子が出てきたが細菌感染した羊水を飲んでいるので坐薬を入れられているせいかピクリともしなかった、ただただ寝ていた
嫁さんは無事回復したが子供をまともに抱っこできてないので心配している
勿論俺も
数日後やっと子供を病室へ連れていける許可がおりた
2335gの小さな身体を抱っこした時はほんと嬉しかった、あの瞬間は今でも忘れない
後日、嫁さんの話しでそこまで悪化したのは病院の対応の悪さが原因だという事がわかった
前日から高熱があるともうし出てるのに何もしてくれなかったと
恐ろしい事にその産婦人科には看護師が1人しかいない事もわかった、いるのは准看護師のみだったらしい、そのたった1人の看護師はパートさ
中には美容師なのに看護師の仕事をしている者がいる事もわかった
正直、あまりの対応の酷さに当時、自分と嫁さんの母親で病院を訴えようとしたが、嫁さんがもう忘れたいからというのでやめた
こういう事もあり、我が家は一人っ子なのです
そんな9年前の話しだけど、俺は今でもその産婦人科を許してはいない
この病院のせいで嫁さんの身体は傷つき、俺は不安障害になった
今は息子が元気なのと、当時手術をしてくれた当直医が妹の話だと有名な医者だった事だけが救い
当日そのヘボ病院の院長、副院長は出張で居なかった、もし居たらどうなって居たんだろう
俺は今でも西八王子にある柴田産婦人科を許してはいない
iPhoneからの投稿
9年前、嫁さんの実家方面の西八王子のとある病院で息子は産まれた
前日嫁さんから連絡があったので立会いの為期待と不安を持って八王子へ
その不安が的中するとはその時は思わなかったな、この事件がきっかけで不安障害になったのだろう
あの日の八王子の気温は今日の東京の気温とは比べものにならないくらい暑さがハンパなかったと記憶してる
駅に到着すると嫁さんの妹が出迎えてくれて一緒に病院へ
何故か妹もなにか不吉な予感がすると
で、病院へ到着
予感は当たった、嫁さんが病室に居ないのでナースステーションへ行くと医者が呼んでると
言われるがまま医者の所へ行くと何故か怒られた、なぜもっと早く来ないんですか!看護師から連絡があったでしょう!
そんな電話はなかったし、後で家へ帰って電話を確認したが留守電どころか着信すらなかった、看護師は嘘をついたのだ
不安は的中、細菌感染して母子共に危険な状態だと聞かされた、人生で初めて腰を抜かした瞬間だった
助かりますか?と聞くと子供は助かるが奥さんは分からないと
頭が真っ白な状態で書類にサインした
何故か緊急帝王切開手術の立会いをした、それだけ危なかったのだろうか?
いや、妹も看護師なのであとで聞くとありえないと
麻酔が効く前に手術は始まった、本当に緊急だったんだなと、勿論切腹状態、手術室は一種の拷問部屋のようだった
医師でも、看護師でもない俺はまともに見る事なんてできなかったし、手が震えて取り出された子供に触れる事も出来なかった
手術はなんとか終わったが2人とも今日明日にも容態が急変する可能性があるので油断出来ないとのことを医師に言われた
その日産まれた子供達がガラス越しにいるのだが勿論うちの息子の姿はない
数日後、やっと息子が出てきたが細菌感染した羊水を飲んでいるので坐薬を入れられているせいかピクリともしなかった、ただただ寝ていた
嫁さんは無事回復したが子供をまともに抱っこできてないので心配している
勿論俺も
数日後やっと子供を病室へ連れていける許可がおりた
2335gの小さな身体を抱っこした時はほんと嬉しかった、あの瞬間は今でも忘れない
後日、嫁さんの話しでそこまで悪化したのは病院の対応の悪さが原因だという事がわかった
前日から高熱があるともうし出てるのに何もしてくれなかったと
恐ろしい事にその産婦人科には看護師が1人しかいない事もわかった、いるのは准看護師のみだったらしい、そのたった1人の看護師はパートさ
中には美容師なのに看護師の仕事をしている者がいる事もわかった
正直、あまりの対応の酷さに当時、自分と嫁さんの母親で病院を訴えようとしたが、嫁さんがもう忘れたいからというのでやめた
こういう事もあり、我が家は一人っ子なのです
そんな9年前の話しだけど、俺は今でもその産婦人科を許してはいない
この病院のせいで嫁さんの身体は傷つき、俺は不安障害になった
今は息子が元気なのと、当時手術をしてくれた当直医が妹の話だと有名な医者だった事だけが救い
当日そのヘボ病院の院長、副院長は出張で居なかった、もし居たらどうなって居たんだろう
俺は今でも西八王子にある柴田産婦人科を許してはいない
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