私は
自分の中である程度マゾ的な部分があると思う。
痛みは成長のプロセスだと思うし。
その意味の中では
痛み自体も愛おしいと感じる。
挑戦が好きだ
何事に対しても。。。
踊ることも走ることも
もう限界と痛みを感じる事が快感だと思う。
常に自分のリミットを超えることを重んじて生きてきたと思う。
ただ
リミットを超えることは
その後なにを得ることを知っているから。
あの頃は。。。
一体何を得るか分からなかった。
限界を突き進む意味も分からなかった。
ただ苦痛だけがあった。
そして
あれまで明瞭だった人生の意味も
全て失っていた。
ただ
反抗する事に慣れていたので
何も見えなくても
慣れていた行動を保っていた。
将来はまったく見えなかった青春の頃のように。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。
マイを生んだのは26の時。
あの旅の頃の彼女は25歳位だと思う。
人生半世紀の母親と
一分の4世紀の娘と
何かの意味があったと思う。
しかし
私には何も分からなかった。
ただ、ただ、探していた。
心の中に
心の外に。。。。
とてつもない冒険ができたら。。。
見つけ出すことが出来るかも知れない。。。
マゾ的に
沢山苦しんで何かを見つけ出す冒険。。。
思えば
私は苦しくてたまらなく
マイに助けを頼んだと思う。
自分を見つけ出したいんだよ。
一緒に行ってくれる?
26歳の時生んだマイは
「うん、ママ、一緒に行こう』と
言ってくれた。
ついこの前まで小さな小さな女の子だったのに。。。
知らない間に成長していた。