久しぶりに昔の記事を読み返してみました。
2011年2月27日の記事です。
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犬との関係は人間との関係と似てると思う。
私の人生に実に沢山の犬と接してきたが
心に残る関係、それほどでもなかった関係、いろいろある。
その中で今でも忘れられない犬がいる。
もうとっくに死んでしまったが
時々私の近くにいるような気がする。
私が大学生だった頃
全てがどうしようもないほど間違っていて
はたして何処から直し始めたらいいのか分からなかった頃があった。
何も出来なく、全てにコントロールがきかず、
自分自身に絶望していた。
みごとなほど全てが間違っていた。
恋愛関係、友情、健康管理、日常生活、金銭関係、勉強。
あの頃、付き合っていた彼氏の犬まで病気になっていた。
ボンゾという名の犬。雑種には珍しいほどの大型犬で非常に利口な犬だった。
荒れた生活をすると一緒にいる動物や子供達がその悪いエネルギーを受けてしまうと聞く
弱いものが犠牲者になるということだ
まるで毒ガスの発生を死で知らせる炭鉱のカナリアのように。
ろくすっぽ餌もやれないことも原因だったと思うが
ひどく痩せていき、毛は抜けていって元気がなかった。
なにかひどい病気になっているのは一目瞭然だった。
ボンゾを見るたびに苦しんだ。
獣医科の学生のなのに
何故、無視するのか
自己嫌悪のシンボルみたいにみえた。
でも、
なにも出来なかった
毎日
明日こそ何かしようと思った。
でも何も出来なかった。
今では理解できる。
うつの典型的な症状なのだ
何も出来ない
何処から始めたりいいのか分からない
何も出来ないから苦しむ
何も出来ないから自尊心をなくす
堂々巡り
しかしあの頃私はとても若く、助けてくれ人もなく、自分が病気だとも気がつかなかった。
ある日、隣に引っ越してきた男の子。
同じ獣医科の学生で 明るく健康的、行動派で私と正反対だった。
まったく幸せな様子で
一人でギターを弾き、大きな声で歌っていた。
「ねぇ この犬病気だよ」。
すぐに気づいた。
「うん、でもどうしたらいいのかな。」
「大学病院に連れて行こうよ?」
「車、ないよ」
「歩いていこう」
なんて簡単なんだろうと思った。
「一緒に行ってくれる?」
「もちろん」
「いつ?」
「今日、昼食の後に行こう」
涙がでるほどありがたかった。
あの日の午後、ボンゾを大学病院に連れて行った。
ボンゾの心臓にはフィラリアという寄生虫が宿っていて
もう死に掛かっていることが分かった。
夕暮れ、ボンゾと歩いて帰った。
小雨の降る森の小道、
咲き乱れる花をボンゾの首輪にさした
花だらけのボンゾは一緒に歩くのが嬉しかったのだろう。
ワンワン吠えながら走り回った。
それを見て
ああ、私に何かを伝えているんだと思った。
一生懸伝、何か言っている。
死に掛かっていても跳びまわるボンゾ。
雨の中に花だらけになって。
生き方を
変えよう。
そう思った。
変えよう、
変わろう。
その後、付き合っていた彼氏と別れ、引越しし、ジョギングを始め、
新しい友情関係を作り、卒業を目指してまじめに勉強を始めた。
ボンゾを引き取りたかったが別れた彼氏はそんなに寛大ではなかった。
それから数ヵ月後にボンゾは死んだ。
そして私は隣のあの獣医学生と恋に落ち
結婚した。
25年前の話だ。
。。。。。。。。。
結婚生活そろそろ30年になります。
キューピットだったボンゾ、まだ私と一緒にいるのかなー。。。