存在の耐えられない軽さ。。。 | サバンナとバレエと

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ブラジルからの便り

久しぶりにミラン クンデラの
『存在の耐えられない軽さ』を読んでいる。

この作品は、『ニーチェの永劫回帰』に基づいている。
何故『存在の耐えられない軽さ」なのか
ニーチェは
もしこの現実が永久的に存在するなら
もしこの現実が繰り返し繰り返し存在するならば
全てが耐えられないほど重いものだろうと言った。
たとえば
タイムマシーンが存在するなら
過去も現在も未来も永久的に存在することとなる。

そして
全てが繰り返し存在することになる。
第二次世界大戦が永久的に繰り返され
広島も繰り替し苦しむことになる。
繰り返し、繰り返し。。。。
ニーチェの永劫回帰はこのような哲学に基づいている。

しかし

もし
現実は起こり、去っていくものだとすると
どのような現実でも
信じられないほど軽い存在になる。。。
どんな現実でも
起こり
去る。
そして消える。。。


正直言って『ニーチェの永劫回帰』は分からなかった。
理解出来なかったのではない。
理解できてもまったく無意味なものと感じていた。

今回再びクンデラを読んで
初めて理解した。

結局ものの大切さはコントラストがなければ分からない。。。
永劫回帰の可能性を感じて
初めて
この人生はたった一回かも知れないと理解した。。。


『結局正しく選んだかどうかは永遠的に分からないだろう。。。
経験を得て選ぶことなんかはまったく不可能だから。。。
この人生はたった一回だけ。。。
役者がまるでまったく練習もしないで舞台を踏むのに似ている。
この人生はアーティストのデッサンに似ている。
あるいはデッサンとも違っているだろう。。。
アーチストのデッサンとは未来の作品への試みだ。
この人生のデッサンとはあるえない作品の試みだけしかない。。。』


翻訳探すことが面倒なので気ままに訳してみました。雑ですがこのように感じました。



一時一時去っていく人生と信じること。
一時一時かけがえのない時間だと信じること
それが私にあっていると思う。

クンデラもそう感じたのだろう。
だから
重さより軽さを選んだのだろう。。。