トロピカリアとW杯と | サバンナとバレエと

サバンナとバレエと

ブラジルからの便り

1970年、
トロピカリア運動を鎮圧する目的に
軍事政権から追われたミュージシャンの
カエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルは
亡命中のロンドンで
はたしてW杯を観るかどうか悩んでいたと聞く。。。
あのW杯は軍事政権のプロパガンダになっていたので。。。





トロピカリア(Tropicalia)とは
ブラジルで1960年代に起きた音楽中心の芸術運動だ。





1960年代中期のブラジルでは、ロックンロールに影響を受けた音楽「イェ・イェ・イェ」が流行していた。一方、それ以前にブームを迎えていたボサノヴァは、より都会的な音楽へ変化していった。これらに対し批判的だったカエターノ・ヴェローゾは、ブラジルの伝統的な音楽(初期のボサノヴァ等)の再評価と、MPBの更なる進化を主張。ボサノヴァ等からの影響を継承しつつ、欧米の様々な音楽(ロック、サイケデリック・ロック、ソウルミュージック等)からの影響も取り込んだ新たなスタイルの音楽が盛り上がることとなる。

1968年7月、カエターノとジルベルトの2人にムタンチス、ナラ・レオン、ガル・コスタ、トン・ゼーといったアーティストも加えたコラボレーション・アルバム『Tropicalia ou Panis et Circenses』(邦題:トロピカリア)が発表された。同作は、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に影響を受けたコンセプト・アルバムで、発表から3か月で2万枚以上を売り上げるヒット作となる[1]。
トロピカリアに関わったミュージシャン達は、ブラジルの軍事政権に反発し、しばしばデモにも参加した。しかし、1968年12月13日に軍事政権が発令した軍政令第五号は、政府が反体制活動を鎮圧することを正当化した内容で、12月27日にカエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルが逮捕され、2人は1969年にはロンドンに亡命。ムーヴメントとしてのトロピカリアは下火となり、1970年にはナラ・レオンもパリに亡命した。


ウィキペディア引用



カエターノの作品も
ジルのもこのブログでもよく翻訳したりしていますね.


1970年のW杯、
歴史上もっとも感動的なカップではないか?
少なくてもブラジル人には。。。
ペレに始まりもの凄いクラッキが集まり
ブラジルは経済発達のおかげでオプチミズムな空気に包まれていた。
国民はあの平和にデモクラシーが欠けていると気づくのには
あまりにも無邪気すぎた。
ナショナリズムに酔っていた。
そしてW杯は軍事政権のプロパガンダのための大会になっていた。




あれから44年、
ブラジル国民はデモクラシーに対してもうあのように無邪気ではない。
大規模なW杯反対デモは世界中に報道せれたが
あれは今回のワールドカップだけではく
長い間のデモクラシープロセスの結果だと思う。
もう簡単に振り回されたり騙されたりする国民ではないのだと思う。
私の周りもなんかシラケたムードだ。


しかし
国民が無邪気に喜んでいないのには
もう一つ理由があると思う。
怖いのだ。
あまり期待できないチームだからかもしれないし
もし期待に背いた大会だったら
喜べば喜ぶほど後の落胆が大きい。
プレシャーが大きすぎて手放しで喜べないのだと思う。


ダンナさんもそんな事言っている。。。

私は
大会が始まって
最初の勝利のいくつかで
皆、火がついたように興奮してくると思う。

いくら政府に不満をもっていても
いくら政府に裏切られたと怒っていても
愛国心はもっと心の底にあるから。。。

いくら無邪気さを失っても
ブラジル人だから。。。


1970年、
ロンドン亡命中だったカエターノとジル。。。
W杯が始まったら迷いなんかすっとんで
夢中になってブラジルを応援したと聞く。。。