ブログ友のゆきゑさんの記事(リンクはこちら)
を読んでもっともだと思った。
欲について。。。
作家,森瑤子さんのエッセーにこんなくだりがある
記憶をたどるとこんな感じの文章だった。
。。。。。。。。。。
久しぶりに会った友達にこう言われた
「あなたもつくづくと大人の女になったわねー」と。。。
でも
何故彼女は私の女ざかりだった40代にそう言わなかったのか
「あの頃の貴方は欲望の塊だった。
賢い貴方だからさりげなく隠し
何気ない振りをしていたけれど。。。
隠し切れない欲望でぎらきらと脂ぎっていた。」
あの頃はたしかに欲望の虜だった
それを隠し
「一番ほしいもの?お金かしら。一番したいもの、旅行かな?」
なんて言っていた。
しかし、あの頃は
見つめられたい。認められたい。賛美されたい。尊敬されたい。。。
そんな欲望で一杯だった。
セ。。。を反吐がでるまでやってみたいという欲望に悩まされていた。。。
。。。。。。。。。。。。。
小説「情事」からの引用は
自分が、若さを奪い取られつつあると感じるようになると、反対に、
性愛に対する欲望と飢えが強まっていった。
セ。。。を反吐が出るまでやりぬいてみたいという、
剥き出しの欲望から一瞬たりとも心を外らすことができない期間があった。
。。。。。。。。。。。
そして彼女はこんな感じで結んでいた。
食べることも美味しいものをほんの少し、
不味いなら空腹のほうが良くなったし
お洒落も人間関係も量より質になってきた。
老いて乾いた肌はさらりとしていて心地よい。
自然に肌を見せるお洒落も出来るようになった。。。と。。。
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欲が減ってきた。。。
私もこの頃
痛感してきている。
欲しいものも劇的に減ってきたし
好きだった酒も落ち着いた飲み方になった。
おかげで以前には手の出なかったちょっと高級なワインなども楽しめる。
踊り方まで変わってきた。
認められたい、賛辞されたいと思う前に
一体何を認められたいのか
何を伝えたいのか
自分の中を感情の動きを見極めるほうが重要になっている。
まちろん
認められたい、賛辞されたいという気持ちが
まったく無くなったのではない。
ただ、
それらに惑わされなくなり
より正直に素直に踊れるようになった。
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キリスト協では7つの大罪というものがある。
傲慢、嫉妬(ねたみ)、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲。
どれも欲望に関連していると思う。
たとえば憤慨はその場で自然に起こる怒りと違い
溜まってたものが勢いよくあふれる様で
何故、ねたみや憎悪を溜め込むのは
それらに対しての欲望が存在するからだと思う。
だが
私は罪というコンセプトは嫌いだ。
避けたいと思って避けられる感情だったら
この世にはもっと幸せな社会になっているはずだ。
だいたい欲望とは
逃げようとするとはるかに大きくなる。
だから欲望に対してのモラル的観念は嫌いだ。
欲望とは餓えと似ている。
餓えているから満たしたい。
しかし
正しい食物で満たさないと餓えはけっして去らない。
自分自身の欲望から目を逸らせない
見つめ続け
理解し
受け入れる
すると、一体何が本当に心を満たすのか分かってくる。
その努力を続けると
ふっと
ある日
欲望の拘束・支配から開放されたと気づく。
そんな感じだ。
たんに老いからくる
自然な現象だけではないと思う。
努力の成果だ。
一杯迷って
一杯過ちも起こし
それでも突き進んだ成果だと
我ながら誇らしく思う。