日本留学中、三重県に留学した友達に会いに行った。
あの年のブラジルからの県費留学生、
日本全体でおよそ100人
毎年のしきたりだった。
留生達に配る新聞の作成。
第二部は私達の役割だった。
三重県で集まることになった。
一日中忙しかったが出来るだけがんばり
出来るだけ楽しもうと。。。
ブラジル人には珍しい勤勉さでがんばった。
ブラジル人といっても皆二世、三世だったが。
そして
観光は
伊勢の真珠と
海上パビリオン。
博物館になった船だと聞いていたが
その船を見た瞬間思い出した。
なんと
私がブラジルまで渡った船
ブラジル丸だった。
子供の頃。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
インターネットで調べてみると
ブラジル丸の歴史は1954年から
移民船としての運航終了は1971年
移民109名を輸送したとある。
それでは
私達家族、5名は
109人の計算に入っていることになる。
当時たった二歳だった弟も。。。
40日間の航海。。。
11歳の私にとって忘れられない経験だ。
ハワイ
太平洋を渡り
ロスアンジェル
メキシコ
パナマ運河を通り
アマゾン、ブラジル北部
そして
リオ
サントス
この頃
あの体験は貴重なものだったかもしれないと思い始めた。
だから
新しいシリーズの始め。
一番長い冒険!
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
日本から離れたとき
忘れられない
東京都港。
色とりどりのテープ
私達家族を見送る人は誰もいなかった
田舎の親類にはもうとっくに別れをつげていた
それでも
離れる船
切りちぎられるテープを見て泣いた。
想えば奇妙に大人びた自分がいる。
11歳。
未だに分からないことがある
何故、あのように大人びていたのか。。。
私の娘達の十一歳といえば全く幼かった。
何故
私と
私の娘達は
このように違うのか。。。
。。。。。。。
生まれ育った東京の夕暮れ
数え切れないほどのテープ
何もない私の手に
誰かがテープを渡した。
私は
突然理解した。
夕焼けに染まる東京湾。。。
もしかして
もう二度と
あの空を見ることが無いかもしれない。。。
もしかして。。。
突然
人生の重荷と
運命を
理解した。
泣いていた
そして
泣いている自分に驚いた
泣くつもりではなかった。
それでも
泣き始めて
それから
泣き続けた。。。
遠くなる東京湾の夕焼けをみつめながら
泣いてもいいんだという
可能性に
酔いながら
泣き続けた。
。。。。。。。。。。。。。。。。
40日間の航海の始まりだった。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
もうひとつの思い出。
私達留学生がブラジル丸を訪れたとき
ある友達が(J君)
あそこで買ったキーホルダーを手渡した。
木片にブラジル丸が彫られていた。
君の思い出を大切にと。。。
嬉しかった。。。
そのあと
ブラジルに帰ってから
あるパーテェでJ君と会った
彼は
日本から帰る途中
アラブによってきたと言った。
そして
私にお土産をもってきたとのこと
ヤギの皮の小さな靴
小さかった私の娘へと。。。
あの頃
親友だったSさん
彼女は何時も言っていた
ねぇ J君ってね、いつまでもあなたのいい友達でいると思う。。
残念ながらSさんは間違っていた
私はJ君のこと
もう10年以上何も知らない。。。
あのキーホルダー
長い間大切に使っていたけど
ある日無くした。。。
でも
J君の優しさ
今でも美しい出来事のように思い出す
結局人生はこんな感じではないか
美しい出来事を集めていく。
真珠のネックレスのように見える。
あの日の東京湾の夕暮れや
私の手に握られたテープ。
J君のキーホルダーや
小さな革靴は
私の首飾りのひとつの真珠だと思う。
あの日伊勢で見た真珠のような。。。。