自由について | サバンナとバレエと

サバンナとバレエと

ブラジルからの便り

若かった頃の私。

何が一番欲しいのかといえば

それは自由だった


とにかく自由に動き回りたかった

貧乏学生だった私にとって

観光なんてまったく不可能なことだったが

金がないから大人しくなんて

耐えられないことだった


何が何でも旅をしたい

何が何でも。。。

そしてみつけだした方法はヒッチハイクだった


高速道路にたって親指を立てる

それもジェスチャーにコツもあった

できるだけ大きなジェスチャーをする


あの頃からダンサーの才能があったのかもしれない

親指をたてた腕を出来るだけ差し伸べる

そして

車一つ一つに笑顔を見せる。


あるいは

ガソリンスタンドで

親切そうな人に声をかける

親切そうで安全だそうだというと

たいがい家族ずれだったが

割合と簡単に乗せてくれた


80年代のブラジル

まだ平和だったのだろうと思う

今では考えられないことだ

乗せるほうも

乗せてもらうほうも


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



いろいろ心にの残るエピソードもある


ワールドカップ1982年

ブラジル・イタリア

たしか連休の前日だったのだろう

正午に終わった授業のあと

リオ・サンパウロを結ぶづドゥトラ高速道路にヒッチハイクに立った。

試合の少し前だったけれど

とにかく家に帰りたかった


あんなドゥトラ見たのは初めてだった

静まり返った道路

車一台通らなかった


一人ぼっちで静かな高速道路をみながら

ああ、もしここでウエスタン映画で見かける

丸いくるくると飛ばされる

樹の根っこが目の前に通っても不自然ないな

と一人で笑った。


ふと気がつくと

と遠くで手を振っている人がいた

同じように道路端に立っている


近づいてきて始めて分かったのは

同級生で

ちょっとかっこいい

日に焼けたサファー


それまで声を交わしたことは無かった


ねぇ、ヒッチハイクできるかな

さあ、一台も通らなかったら無理だね

どうしてサンパウロに帰りたいの

ガールフレンドの誕生日なんだ


そうか、大学に入って、たった3ヶ月間位だった

みんな大切な人と離れたばかりだった


ねえ、ウエスタンのまあるい樹の根っこが通り過ぎるように感じない?

二人で笑った。

一緒に旅だってもいいなと思わせるくったない笑い声だった


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


そして、その日、

やはり家族と会いたくてならない

ダンプの運転手とともにリオからサンパウロまで走った。

ラジオで試合を聞きながら


そしてイタリア3・ブラジル2


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


実家について

歓迎してもらったがやっぱりなにか悲しい様子だった

父さんは

今晩はピザパイ食べにいく計画だったけど

中華料理でも食べに行こうかと言った


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


あの時一緒にヒッチハイクしたJくん

今はサンパウロ大学の教授です。

時々インターネットで再会します。5年に一回ぐらいかな


そして、そのたびの挨拶は


ねえ、覚えてる、あのワールドカップのブラジル対イタリアの冒険?


そして


毎回答えてきます


もちろん。




。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。




あの頃、もっとも愛したものは海でした。


サバンナとバレエと


クレジット Joaquín Martínez Rosado