不妊治療を始めて数ヶ月。
何度も壁にぶつかりながらも進んできた日々の中で、ついに訪れた「陽性反応」。

2024年12月。
初めての胚移植では陰性だったけれど、2回目の移植で奇跡のように訪れた命。
あの時の喜びは、一生忘れません。

でもその命は、長くは続きませんでした。
2025年2月、私たちは稽留流産という現実を受け入れることになりました。

今日は、あの日々に確かに存在していた“3人家族の時間”を振り返りたいと思います。



⭐️陽性反応|嬉しさと涙の年末年始

判定日、検査薬にうっすらと線が浮かんだ瞬間。

「……え?」

目を疑う気持ちと、信じたい気持ちでいっぱいになりながら、すぐにクリニックへ確認に行きました。

年末年始を挟んで、正月明けの診察で正式に「陽性」との言葉をもらったとき、ただただ嬉しくて、診察室で涙がにじみました。

その足で夫に連絡し、「陽性だったよ」と伝えると、彼もきっと泣いていました。
「本当に…?やったな……」と声を詰まらせながら喜んでくれて、その瞬間、私たちは本当に家族になった気がしました。

どこで産む?どんな名前にしよう?
ベビーベッドはどうする?

そんな話を毎日のようにしては笑い合って、命がいるだけで、家族の絆がぐっと深まっていくのを感じました。



⭐️稽留流産の診断|突然の静寂

妊娠9週目。
それまで順調に育ってくれていた小さな命。8週目の診察でも、心拍がトクトクと力強く動いていたのを、この目で見ました。

でも、

9週目のエコーで、その心拍は止まっていました。

先生が静かに画面を見つめ、少し間を置いて「……心拍が確認できません」と言った瞬間、
胸の奥にある何かが、音を立てて崩れていくような感覚がしました。

信じたくない。
1週間前まで、元気だったのに。
何かの間違いじゃないの?

でも現実は、「稽留流産」という診断でした。
赤ちゃんは、お腹の中で静かに命を止めていたのです。



⭐️流産手術|お別れの前夜

診察の翌日、流産手術を受けることを決めました。

その夜、眠ることができずに、お腹にそっと手を当てながら赤ちゃんに語りかけました。

「産んであげられなくて、ごめんね」
「会いたかったよ」
「あなたが来てくれて、本当に幸せだったよ」

涙は止まらず、言葉もつまってしまって、それでもどうしても伝えたくて、ただただ心の中で話しかけました。

翌日の手術は、体よりも心が痛かった。
終わってからも、「もういないんだ」という実感がなかなか持てず、
2週間ほど、ふとした瞬間に涙がこぼれる日々が続きました。



⭐️️心の整理|私たちは、確かに“3人家族”だった

時間が少しだけ、心を落ち着かせてくれた頃。

ふとした瞬間に、思い出しました。
あの約2ヶ月間、私たちはたしかに“3人家族”だったことを。

エコー写真を見て微笑んだり、名前を考えたり、子どもの話題で夫婦で笑い合ったり。

たった数週間だったけど、心から幸せな時間でした。

あの子が私たちのところに来てくれたおかげで、
私たちは「親になろうとした」し、夫婦の絆も深まりました。

今も、ときどき空を見上げて思います。

「天国から見ていてくれているかな?向こうでは楽しくしてるかな?頑張ってねって応援してくれているかな?」


⭐️最後に|命は消えない、想いがつなぐ

あの子が教えてくれたことは、
命の重さ、はかなさ、そして愛おしさでした。

今も悲しみが消えることはありません。
でも、それ以上に感謝の気持ちがあります。

あなたが私たちのもとに来てくれて、本当にありがとう。
少しの間でも、あなたの母でいられたこと、誇りに思います。

そして私はまた、希望を持って歩き出します。
次に命を迎えるその日まで、心と体を整えながら。


次回は「3回目の胚移植と判定」について綴ります。