昨日の続きです。
内堀のおおよその形は、分かったのですが、上の絵図の
内堀の川からの分水口が、どこだろう?
と思い始め、五ヶ瀬川の堤防のに行ってみました。
絵図の場所からいくと、たぶん・・・ここら辺りになりますね。
堤防から川の方を見ても、それらしい取り込み口は、
見当たりません。
という事は、内堀は、完全に埋め立てられてしまった・・・
という事でしょうね。
中々、仕事に行く事を忘れるくらい、楽しい時間でした。
これは、また別の日の事なんですが・・・・
もちろん!!朝連です!!(笑)
少し前に、二線堤の、お話をした事がありますが
やはり、この絵図に載っていました。
この斜めに走っている川です。
この間の説明看板では、川が氾濫した時に、お城の廻りの
武家屋敷を守るために、造った堤防・・という事でしたね。
内堀の水も、この川から、取りこんでいたのでしょう。
よく見ると、水門のような物がありますもんね。
では!!ここも、もしかすると、跡が残っているのかも
知れません。
ありました♪
ここは、五ヶ瀬川の方です。
絵図でいうと、上の方ですね。
という事は、内堀のように、埋め立てられて・・・ではなく
暗渠(あんきょ)として川(水路)が残っているという事になります。
では、川をたどってみましょう。
二線堤の下になります。
緩やかに曲がった道です。
今、私は川の中を歩いています・・・・(笑)
これを進んで行くと、大瀬川に出るのですが・・・
道路を通した関係上、奥の方が高さが高くなっていますが
元々、微妙に高いような気がします。
では、大瀬川に出てみましょう。
ここが川であれば、水門があるはずなんです。
ビンゴ~!!ありました~!!
今まで、何度も、ここを通り、何度も見たはずなのに・・・
漠然と見ると、何も見えないという事ですね。
もう一つ、気づいた事は、五ヶ瀬川と大瀬川では、大瀬川の方が
高さが高いという事ですね。
写真でも分かる通り、こちらの水門は、水流が緩やかなのに対して
五ヶ瀬川の方の水門は、かなりの勢いで、水が流れ出していましたもんね。
よくよく考えてみれば、台風や洪水などで、氾濫するのは、五ヶ瀬川
のような気がします。
うちの店も以前、五ヶ瀬川沿いにあった時に、洪水で、やられて
しまった事があります。
やはり、この延岡という街は、「水郷の街」なんですが・・・・
「水害の街」でもあるという事ですね。
何百年前の先人達も、水と共存しながら、生きてきたのでしょう。
古い時代へトリッパしたような時間でした。
バイクに乗り、遠くへ旅をするのも良いけれど・・・
自分の街の見た事のない時代へトリップする旅も中々良いもんです。
今度は、大正時代や戦前の資料を集めているので、機会があれば
自分の足で歩きながら、その時代へトリップしたいと思ってます。






