先日の4連休から、また更に、コロナ感染者が広がっております。
とうとう、安全地帯のような宮崎県も、凄い勢いで広がっております。
目に見えぬ、ウイルスの恐怖・・・ワクチンが出来たとか・・・
完全じゃないとか・・・・
まだまだ、安心できません。
それでも、うつむく事は出来ません。
胸を張って、明日を信じて、歩きます!!
という事で、歴史に全く興味ない、みなさん、申し訳ありません。
またまた、延岡城、周辺の話です。
はい!もう見慣れてしまったかも知れませんね。
いつもの絵図です。
内堀や二線堤などの確認が終わって、次に気になりだしたのが、
この外堀です。
市役所の東側を南北に通る道路です。
最初、この道路が外堀の跡だと思っていました。
古い本を調べると、やはり・・・
「市役所から警察署の東側に、南北に抜ける道路が
堀川を埋めた、およその位置である」と書いてあります。
しかし・・・この追手橋の写真をみると・・・
堀川の川幅が、こんなに広いんです。
橋の向こうに見えるのが追手門です。
さらに奥に見えるのが、延岡城です。
これは、おかしい・・・・現場100回!!と言います!!
(刑事ドラマでは!!!(笑))
これは、市役所の北川にある「三福寺」付近です。
この妙な道路のクランクの不自然を感じます。
絵図では、「三福寺」から入った、堀川は南の「妙専寺」まで
一直線だったはずです。
スマホの絵図を見ながら、歩きます。
以前、警察署があった場所の南側にある公園です。
この公園を通りかかった時に、この東西の幅が、先ほどの川幅に
思えてきました。
もう一度、見てみましょう。
ほらほら・・・いかがですか?同じ幅に見えませんか?
公園の中に立ってみます。
この市役所の建て替えの時に、堀川の石組みが出て来ております。
という事は、現在の市役所の建物の半分が堀川を埋めた場所という
事になりますね。
公園の横から、南を見てみます。
奥に見えるのが、「妙専寺」です。
「妙専寺」の裏手にある、道路の盛り上がりです。
以前から、「どうして、ここだけが盛り上がっているのか?」
と。気になっていましたが、これは、多分・・・堀川のかかっていた
橋ごと、埋めてしまったのでしょう。
では!!埋められた堀川は、どうなってしまったのでしょう?
絵図で、行くと五ヶ瀬川に堀川の入り口があります。
市役所から五ヶ瀬川の堤防の上に上がってみます。
ビンゴ!!ありました。
たしかに、今も堀川の跡は、暗渠として、存在するようです。
では、絵図で見る、「妙専寺」で別れた支流は、どうなって
いるのでしょう?
片方は、延岡城の内堀に入っています。
これは、前回、内堀を調べた時に、完全に埋め立てられ無くなって
いると確認しました。
もう一方は、どうやら、須崎公園の方に行っているようです。
しかし、ここには、大きな道路が通っています。
現在、繁華街や歓楽街を通る、この道路の下が暗渠になって
いるのでしょうか?
何か、痕跡が見つかるかも・・・思いつつ、公園の方に
行ってみます。
しかし、最近、出来た長い堤防があるだけで、水門らしき物は
ありません。
大瀬川の方を見ても、やっぱり水門らしき物はありません。
こういう時は、文献を漁るしかありません。
すると、面白い文をみつけました。
「大正の末に、この掘りは、埋め立てられて堀川通りとなり
、昭和になってからは本町と町名がかわってる」と
書いてあります。
やはり、内堀を埋め立てた跡に、ここも埋め立てられた
みたいですね・・・・
は!!!じゃあ、五ヶ瀬川の水門の出口は、どうなったのでしょう?
普通に考えれば、支流がなくなったのですから、出口を作るなら
一番、近い大瀬川となりますよね。
妙専寺から、南の堤防に上がってみます。
やっぱり、ありました。
外堀の支流は、埋め立てられてなくなっていましたが、本流は
江戸時代から、現代まで、脈々と流れているようです。
面白くない話に、お付き合い下さりありがとうございます。
郷土の歴史については、まだまだ探索中です。
また、機会があれば、お付き合い下さい。
では、みなさん、くれぐれも、感染だけには、気をつけましょうね。


















