こんにちは。

 

今日はガールズケイリンの将来を考えるのにとっておきの話題があります!

 

 

テレビをつけるとあちらこちらで取り上げられています。

上野千鶴子さんの東京大学での祝辞。

 

ただどうしてもこれはマスメディアの弱点といいますか、時間の制約がありますから部分的な抜粋になってしまうので、前後の流れも踏まえてみないと、どうしても偏った見方になってしまうのかな?

いいとこどりもいいですが、興味があるなら全文を確認することも大事かなと私は思います。

 

多くの方がこの祝辞から色々な考えをテレビで語っていますが、部分的に見ればたしかにそうだなと思う部分もあれば、前後の文章から紐解くとはたしてそうなのか?と思ったり。

これは人それぞれの考え方ですから、正解がある話ではありませんので、自分の思考を広げる一つになればいいのかな!

 

 

ガールズケイリンにおいて考えると、2012年に再開してまだ7年の歴史しかありませんが、男女比率という点だけに焦点をあてて、その前提で思考を巡らすと、今回の祝辞にはなるほどなと思うところが多々あります。

 

少なくとも、現在のガールズケイリンの置かれている状況は、あれこれと改善をしていかないといけないと思うのですが、この祝辞がそれらを考える一つのきっかけになるといいなと思いました。

 

2012年の開幕当初は、まさに祝辞でのべられたような冷却効果的に言われてきましたが、いまやマスメディアで取り上げられるのはガールズケイリンが少しずつですが増えてきたような。

ひとえに、102期でデビューした33人が耕してきた土壌にようやく種まきができるところまで来たのかな。

まだ種は蒔いていませんが、これからがいよいよ種を蒔く段階に近づいてきたというのが個人的な印象です。

東京オリンピック後に、蒔いた種が芽吹くのかどうか・・・

 

 

1年間競輪学校で学んで、プロとしてデビュー。

競輪学校を卒業することがひとつのゴールと見えてしまうこともあります。

ここまでは、がんばれば報われます。

 

ただ、プロになるとがんばることだけでは報われない現実に直面します。

それは「代謝」という制度。

ここ数年で、どんなにがんばろうとしても現実に襲い掛かってきてしまう現実。

プロといっても、制度で守られているのは一部だけで、現状のガールズケイリンにおいては、守られる制度らしきものは???といえるでしょう。

 

レースでケガして休んでしまうと、それに対しての公傷的制度はありません。

でも一部の男子選手にはその制度が適用されているそうです。

ガールズケイリンにはありません。

なので、休みすぎると代謝危機に陥ります。

なぜなんでしょう?

レースでのケガですから、労災的扱いになってしかるべきだと思うのですが?

にもかかわらず、3期・1年半という期間でバッサリと切る制度の存在は、開始当初から疑問を投げかけてきましたが、何も変わらないままです。

※制度自体は必要だと思いますが、それ以外の部分が・・・

 

そういった部分も踏まえて、この祝辞を読み解くと、ガールズケイリンの未来を語る上で色々と考えられることが出てくるんじゃないか?。

 

開幕当初は33人しかいなかった選手も今は約4倍まで増えてきました。

地区別に見ればまだまだ少ないですから、練習環境として考えると男子選手と一緒の練習では見えてこない部分もあるのかと想像してしまいます。

 

ただ、昨今は強い選手とともに一緒に練習をして、共に学びながら強くなっている選手が増えてきました。

実際にデビュー時はなかなか勝ち切れなかった選手も、初勝利を挙げたり、もう一つレベルアップできればという選手たちが初優勝をあげたりと、ガールズケイリン選手がグループで練習し共に学び合うことでの成果は表れています。

 

祝辞の一文でいえば、

「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。・・・」

 

支え合って練習をすることで、結果も出ている。

そういう環境もできてきたという変化が生まれるまでには、7年というガールズケイリンの積み重ねてきた時間があってこそです。

ただ、それもまだ一部?

諸条件や都合などもあるのでしょうが、もっともっと広がるといいのになぁと思いますし、合わせてガールズケイリン選手を取り巻く環境改善が進み、選手が全力でレースに臨めるようになってほしいと思います。

 

ガールズケイリンがこれからもっとよい形に向かう上で、選手たちが新たな知を生み出すための知を身に付けるのは、競輪学校ではなく選手としての今なんでしょう!

競輪学校で学んだことを練習に活かし、実戦でレベルアップさせていくなかで、新たなメタ知識を身に付けた選手は、それが成績に現れてくるのだと思います。

 

車券を買う側はお金を賭けますが、それはバンクの外側の勝手なことなので、選手は気にする必要はないんじゃないかと個人的には思います。

ただ、結果を出してもらうために応援している中で、その選手ががんばって練習しているのかしていないのかはレースを見ればなんとなく感じとってしまいます。

感じ取ることのない走りを多くの選手に期待するととともに、ガールズケイリンを取り巻く環境が、今回の上野千鶴子さんの祝辞の注目度と合わせて、今後よりよい環境整備が進むきっかけになってほしいです。

 

 

 

 

話は本題とそれますが、個人的には、この一文が同感です。

「・・・この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。」

数字を読み解くのって面白いなぁと思う晩年です(笑)

 

 

 

 

幸いなことに、個人BLOGにおいては、長さの制限はありませんので時間と文字数さえ許せばそこは自由なので後半に全文を掲載しておきます。

 

また、東京大学のホームページを見ると全文掲載されていますのでそちらでご覧いただいたほうが、見やすいかと思いますので、リンクもはっておきます。

 

平成31年度東京大学学部入学式 祝辞

※クリックすると東京大学ホームページにリンクします

 

 

 

<上野千鶴子さん祝辞全文>

 

◆平成31年度東京大学学部入学式 祝辞


ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。


◆女子学生の置かれている現実


その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。


女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。


事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。


最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。


そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。


東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。


東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました。


これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。


学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。


◆女性学のパイオニアとして


こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンやタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?日本の歴史に同性愛者はいたの?...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。


学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。


◆変化と多様性に拓かれた大学


言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。


あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。


あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。


あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。


◆東京大学で学ぶ価値


あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。
 
平成31年4月12日
認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長
上野 千鶴子

 

 

 

 

 

時間の許す限り、人生は勉強の繰り返し!

 

 

食べることも繰り返すのが人生♪

さて、何か美味しいものでも見つけに行きましょう♪(笑)