今日は、久方ぶりの日本人出身横綱の誕生で国内賑わったことと存じます。
 

 
にわか相撲ファンの私としても、明治神宮大前にての横綱稀勢の里の雄姿を拝し、ググッとくるものがありましたね(しかも太刀持ち高安関)。
 
この手数入り、勝手ながら私も少なからぬご縁があります。
 
遡ること十数年前、横綱武蔵丸の横綱推挙式・手数入りの頃、明治神宮で研修させていただきながら國學院大學に通学していまして、武蔵丸が推挙式の際、座るであろう場所の掃除をしたのは、この私めにござります(笑)
 
残念ながら推挙式・手数入りの時間帯は大学にて講義受講中でしたので、直接目にする機会には恵まれませんでしたが、とても良い思い出の一つであります。
 
さて、横綱稀勢の里に関しましては、お父さんの仰った話が聞こえてくるところですが、横綱昇進に際し「気の毒に思う部分もある」との趣旨の感想を聞き及びました。
 
聴けばなるほど納得で、横綱とは無二の存在であるからして勝ち続けるか「引退」しか道はなく、常に背水の陣の中で立ち振る舞うのは、好きで何かに打ち込めるのとは全く別物で、確かに「気の毒」という表現も理解できます。
 
何の世界でもそうなんでしょうが、常ならざる出来事に対し、いかに振る舞えるか、その辺りに美学を感じることを「潔し」と言うのだろうな、またそれを実践できている人が如何ほどいるものかと、自分の胸に手をあてながら考えさせられた今日の出来事です。
 
  六根清浄、六根清浄